カルマト派
ウィキペディア フリーな encyclopedia
カルマト派 (カルマトは、アラビア語: القرامطة, ラテン文字転写: al-Qarāmiṭa) は、イスラム教シーア派の分派であるイスマーイール派の一分派[1][2][3][4]。9世紀末から11世紀にかけて活動した[1][2]。9世紀のイスマーイール派はアッバース朝の支配領域の各地で秘密裏に革命運動を展開していた[5]:180-186。カルマト派と呼ばれる集団は、もともとはイラク南部サワード地方(英語版)のイスマーイール派教宣組織の責任者であったハムダーン・カルマトが組織したグループのことを指す[3][4]。しかし、シリアのサラミーヤの教宣組織の本部が899年に教義の変更を宣言すると、ハムダーンはこれを認めず反抗し、同様に教義変更に従わなかった他のイスマーイール派信徒集団もカルマト派と呼ばれるようになった[3]。バハラインのカルマト派は11世紀ごろまで政治的に独立した勢力を形成し、930年にメッカを占領してカアバの黒石を持ち去るという事件を起こした[1][6]。カルマト派の信条には、ファーティマ朝系イマームによる教義の変更前の初期イスマーイール派の信条が保たれていると考えられている[5]:180-186。アブー・ハーティム・ラーズィーやアブー・ヤアクーブ・スィジスターニーなどイスマーイール派思想史において重要な思想家の中には、もともとはカルマト派に所属していた者が何人かいる[3]。