![cover image](https://wikiwandv2-19431.kxcdn.com/_next/image?url=https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f9/Portraits_of_the_Im%25C4%2581ms_%25E1%25B8%25A4asan_%2528d._670%2529%252C_%25E1%25B8%25A4usayn_%2528d._680%2529%252C_Sh%25C4%2581fi%2560%25C4%25AB_%2528d._820%2529_and_Ab%25C5%25AB_%25E1%25B8%25A4an%25C4%25ABfa_%2528d._767%2529%252C_with_%2560Abb%25C4%2581sid_revolutionary_Ab%25C5%25AB_Muslim_%2528d._755%2529.jpg/640px-thumbnail.jpg&w=640&q=50)
アブー・ハニーファ
ウィキペディア フリーな encyclopedia
アブー・ハニーファ(Abū Ḥanīfa、699年頃 - 767年頃)は、イスラーム・スンナ派の法学派のひとつ、ハナフィー派の学祖。イスラーム思想史上もっとも重要な人物のひとりであり、同時代の人々からその学問や人格、敬虔さが称賛されている一方で、非常に厳しい批難も受けている。振幅の激しい毀誉褒貶は現代にいたるまで継続している。
![Thumb image](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f9/Portraits_of_the_Im%C4%81ms_%E1%B8%A4asan_%28d._670%29%2C_%E1%B8%A4usayn_%28d._680%29%2C_Sh%C4%81fi%60%C4%AB_%28d._820%29_and_Ab%C5%AB_%E1%B8%A4an%C4%ABfa_%28d._767%29%2C_with_%60Abb%C4%81sid_revolutionary_Ab%C5%AB_Muslim_%28d._755%29.jpg/640px-thumbnail.jpg)
マーリク・イブン・アナスら同時代の法学者とともにイスラーム法学理論の基礎を構築した。伝統を重視したマーリクらマディーナの法学者に対し、アブー・ハニーファは「ラアイ」(自由な法的論理付け)に寛容とされている。この点が人格の中傷をも含む激しい批難の主な理由となっている。また、例外的規範の優先(イスティフサーン)や奸計(ヒヤル)の起源をアブー・ハニーファに求める説もある。アブー・ハニーファの法思想はアブー・ユースフ、シャイバーニーらによって継承・発展された。
政治との関りでは、ウマイヤ朝に対するザイドの反乱(738年)やアッバース朝に対する「純粋なる魂」ムハンマドの反乱(762年)を支援した。アシュアリー(wikidata)によると、神学論や政治思想に関してはムルジア派(wikidata)に似ているとされる。アブー・ハニーファの神学的思想は12~14世紀に形成されたマートゥリーディー派に受け継がれた。