ウマイヤ朝
イスラム史上最初の世襲イスラム王朝 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
親愛なるWikiwand AI, これらの重要な質問に答えるだけで、簡潔にしましょう:
トップの事実と統計を挙げていただけますか ウマイヤ朝?
この記事を 10 歳向けに要約してください
ウマイヤ朝(ウマイヤちょう、アラビア語: الدولة الأموية、al-Dawla al-Umawiyya)は、イスラム史上最初の世襲イスラム王朝である。大食(唐での呼称)、またはカリフ帝国やアラブ帝国と呼ばれる体制の王朝のひとつであり、イスラム帝国のひとつでもある。
イスラームの預言者ムハンマドと父祖を同じくするクライシュ族の名門で、メッカの指導層であったウマイヤ家による世襲王朝である。第4代正統カリフであるアリーとの抗争において、660年自らカリフを名乗ったシリア総督ムアーウィヤが、661年のハワーリジュ派によるアリー暗殺の結果、カリフ位を認めさせて成立した王朝。首都はシリアのダマスカス。ムアーウィヤの死後、次代以降のカリフをウマイヤ家の一族によって世襲したため、ムアーウィヤ(1世)からマルワーン2世までの14人のカリフによる王朝を「ウマイヤ朝」と呼ぶ。750年にアッバース朝によって滅ぼされるが、ムアーウィヤの後裔のひとりアブド・アッラフマーン1世がイベリア半島に逃れ、後ウマイヤ朝を建てる。
非ムスリムだけでなく非アラブ人のムスリムにもズィンミー(庇護民)として人頭税(ジズヤ)と地租(ハラージュ)の納税義務を負わせる一方、ムスリムのアラブ人には免税となるアラブ至上主義を敷いた。また、ディーワーン制や駅伝制の整備、行政用語の統一やアラブ貨幣鋳造など、イスラム国家の基盤を築いた。
カリフ位の世襲制をした最初のイスラム王朝であり、アラブ人でムスリムである集団による階級的な異教異民族支配を国家の統治原理とするアラブ帝国である(アラブ・アリストクラシー)。また、ウマイヤ家がある時期まで預言者ムハンマドの宣教に抵抗してきたという事実、また後述のカルバラーの悲劇ゆえにシーア派からは複雑な感情を持たれているといった事情から、今日、非アラブを含めたムスリム全般の間での評判は必ずしも芳しくない王朝である[2]。