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日本のお笑いタレント、俳優 ウィキペディアから
ゆうき 哲也(ゆうき てつや、1941年9月9日 - 2021年1月4日)は、日本のお笑いタレント・俳優。元チャンバラトリオメンバー。
旧芸名は結城 哲也で、一時期ゆう輝 哲也と改名していた時期がある(全て読みは同じ)。本名は井上 哲也。
同志社大学を半年で中退後、1960年に東映に入社し[1][2]、スター俳優であった高倉健の付き人として活動する傍ら、他のチャンバラトリオのメンバーと同じく端役・斬られ役として映画に出演していた。
1968年、病気療養中だった南方英二の代役としてチャンバラトリオに加入した。主にツッコミを担当し、南方の復帰によってチャンバラトリオはトリオではなく4人組となったが、結城は脱退せず、そのままメンバーとして在籍した。
1980年、同じ吉本興業所属芸人のWヤング・中田治雄が借金苦で1979年に自殺したことをきっかけに、月亭可朝・間寛平と共に結城が野球賭博に関与していた事実が明らかになり、3人は略式起訴され、結城は謹慎となった。謹慎期間が明けた後はチャンバラトリオのメンバーに復帰して活動したが、1983年にチャンバラトリオを脱退した[1]。
1990年に再びチャンバラトリオに復帰した。この時期には、日本テレビ系『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』の「人間性クイズ」の仕掛人として度々出演し、「結城哲也はSMがお好き」というコーナーが存在した。1994年、チャンバラトリオのメンバーだった伊吹太郎が、借金問題で吉本興業を解雇され脱退し、同時に結城も俳優に転向することを決意し、再びチャンバラトリオを1994年に脱退した[2]。
以降、『極道の妻たち』などに出演するほか、映画・Vシネマシリーズ『難波金融伝・ミナミの帝王』に、沢木の親分役でレギュラー出演し、同作品のプロデューサーとしても名を連ねた。ミナミの帝王を製作するエクセレントフィルムと関係が深く、同社が製作する映画・Vシネマの多くにプロデューサーとして関与した。
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