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超絶主義(ちょうぜつしゅぎ / 英: Transcendentalism)は、1820年代後半から1830年代にかけてアメリカ東部で発展した哲学運動である[1][2][3]。超越主義(ちょうえつしゅぎ)とも言う[4]。英語ではトランセンデンタリズム(Transcendentalism)と言い、「乗り越える」を意味する「transcend」という語に由来する[5]。
1830年代半ば頃から1860年頃にかけアメリカ合衆国ニューイングランド地方のユニテリアン派の中よりラルフ・ワルド・エマーソンやヘンリー・デイヴィッド・ソローらによってロマン主義運動・思想(理想主義運動)が行われた[4][5]。これは、1836年9月8日、ボストンに「超絶クラブ」が設立されたことが発端とされる[5]。同年の評論「Nature」において、アメリカのラルフ・ワルド・エマーソンは、この超絶主義を世に打ち出した。
超絶主義は、客観的な経験論よりも、主観的な直観を強調する。その中核は、人間に内在する善と自然への信頼である[1]。一方、社会とその制度が個人の純粋さを破壊しており、人々は本当に「自立」して独立独歩の時にこそ最高の状態にある、とする。
エマーソンの超絶主義哲学は、19世紀後半にアメリカで始まったキリスト教異端的霊性運動ニューソートの理論的根拠として用いられ、運動が広まる支えとなっており、ニューソートはニューエイジ、カルト、通俗心理学、自己啓発運動や自己啓発書に大きな影響を与えた[6][7]。
超絶主義は、ドイツロマン主義、とりわけヨハン・ゴットフリート・ヘルダーとフリードリヒ・シュライエルマッハーの思想と親密である。スタンフォード哲学百科事典によれば「イギリスとドイツのロマン主義、ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーとフリードリヒ・シュライエルマッハーの聖書批評とデビッド・ヒュームの懐疑論」[1]に触発され、さらにはイマヌエル・カントに代表されるドイツ観念論の「超越論的」哲学をも包摂している。しかしながら、初期の超絶主義は、元来ドイツ哲学とは疎遠であり、むしろ主としてイギリスのトーマス・カーライル、サミュエル・テイラー・コールリッジや、フランスのヴィクトル・クザン、アンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ド・スタールらの思想に依拠していた。
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