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藤本 哲也(ふじもと てつや[1]、1940年〈昭和15年〉12月18日 - )は、日本の法学者・弁護士。専門は、犯罪学・刑事政策・被害者学。Ph.D.(カリフォルニア大学バークレー校・1975年)。中央大学名誉教授。元常磐大学大学院教授。
現在、日本刑事政策研究会理事、法務省・性犯罪者処遇プログラム研究会構成員、法務省矯正研修所講師、財団法人矯正協会評議員、全国少年警察ボランティア協会顧問、日本更生保護協会理事、日本被害者学会理事、特定非営利活動法人全国就労支援事業者機構理事、内閣府少年非行事例等調査研究企画分析会議委員長、社会福祉士試験委員等の各種委員を務めている。また、2000年まで司法試験考査委員を務めた。
中央大学大学院での指導教授は、市川秀雄(その後、八木國之にも師事)。専門書を読破するだけではなく、ある日、研究室のゴミ箱に捨てられていた週刊誌を拾い、掲載されていた犯罪関連記事からも知見を得るように努めた[2]。フロリダ州立大学大学院修士課程では、犯罪心理学を学んだ。フロリダ州立大学には博士課程がなかったので、他の大学へ移る。カリフォルニア州に移動することとなり、その際には自家用車に安く購入したキャンピングトレーラーをつなげて家族を乗せ、自身で運転して大陸横断した[2]。カリフォルニア大学バークレー校大学院博士課程では、トニー・プラット及びポール・タカギに師事し犯罪社会学を中心に学んだ。1975年に、カリフォルニア大学バークレー校からPh.D.(犯罪学)の学位を授与された。日本人として初めてのアメリカ合衆国の大学での犯罪学のPh.D.取得だった。当時、カリフォルニア州知事だったロナルド・レーガンが州財政の適正化を理由にカリフォルニア大学の犯罪学部の閉鎖を決定し、藤本はアメリカに残れない状況となり、日本へ帰国することとなる。帰国後、日本の大学の授業で、ロナルド・レーガン大統領を嫌っていることを語っている[2]。
一年に一冊の著書を出版することを目標としており、その書数は40冊近くにのぼる。これは犯罪学の研究が遅れている日本が欧米に追いつくためにはそれくらいの努力が必要であろうとの気概から立てた目標である。論文も学術論文のみで700本以上書いており、単純計算すると2週間に1本書いたことになる上、一度も締切を破ったことがない[3]。
2011年3月、中央大学法学部を定年退職。2011年1月17日に最終講義「犯罪学と私」が行われた[3]。退職後は中央大学名誉教授に。2011年より常磐大学大学院被害者学研究科教授および国際被害者学研究所教授を併任。2016年3月に常磐大学退職。
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