船津町(ふなつちょう)は、岐阜県吉城郡にあった町である。
概要 ふなつちょう 船津町, 廃止日 ...
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神通川支流高原川の上流に位置し、神岡鉱山(亜鉛・鉛・銀鉱山)の中心地として栄えた。
1950年に合併して成立した神岡町の中心地に相当する。現在は飛騨市の一部である。
- 江戸時代末期、この地域は飛騨国吉城郡高原郷であり、天領であった。江戸幕府により銀の採掘が行われ、この時期から鉱山の町として賑わったという。明治に入り1889年に鉱山経営が全面的に三井財閥に移るとより大きな町になった。
- 1871年(明治4年) - 廃藩置県により、飛騨国一円は筑摩県となる。
- 1875年(明治8年)7月1日 - 高原郷が下高原郷と上高原郷(後の上宝村域、現高山市上宝町・奥飛騨温泉郷に相当)とに分立。そのうち下高原郷49か村が合併し神岡村が成立。
- 1876年(明治9年)8月20日 - 筑摩県から岐阜県に移行。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 神岡村を3分割し、町村制施行により袖川村・阿曽布村とともに船津町が成立。船津町は旧下高原郷のうち船津・朝浦・東町・鹿間・割石・吉ヶ原・二ツ屋・西漆山・東漆山・笈破・牧・土・西茂住・東茂住・杉山・横山・中山・谷・跡津川・佐古・大多和の旧21か村の地域からなる。旧村名を継承して計21大字を編成。
- 1929年(昭和4年)5月20日 - 玉川町から出火。町役場、裁判所出張所、営林署、郵便局などの公共施設を含む1200余戸が全焼[1]。
- 1950年(昭和25年)6月10日 - 袖川村・阿曽布村と合併し神岡町が成立、船津町が廃止。
神岡町成立後の1966年(昭和41年)に国鉄神岡線が開通した。旧船津町域の駅は次のとおりである(駅名は開業当時のもの)。
船津で大火、千二百余戸が全焼『大阪毎日新聞』昭和4年5月21日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p85 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
地理学研究会 編 (1975)"尾留川正平先生略歴・著作目録"東京教育大学地理学研究報告.XIX:1-10.(1ページより)