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百衲本(ひゃくのうぼん)は、漢籍出版の一形態。異なった版本を寄せ集め、欠落を補うことで、完本としたものである[1][2]。
「衲」は「補綴する」「綴り合せる」という意味である[1]。清初の宋犖(1634年 - 1714年)が、2種類の宋本と3種類の元本を集めて『史記』(全80冊)を編纂し、これが『百衲本史記』と称されたのが最初である[1]。傅増湘(1872年 - 1949年)は数種の宋本から『百衲本資治通鑑』(全80冊)を編纂した[1]。歴史の分野において単に「百衲本」と称する場合には、1936年に商務印書館から出版された『百衲本二十四史』を指すことが多い。
『百衲本二十四史』は、1930年~1937年に商務印書館から出版された二十四史の刊本(影印本、全820冊)。張元済(1867年 - 1959年)が出版を主宰した[3](四部叢刊も参照)。出版には約8年がかけられた。
百衲本の出版まで、二十四史の刊本としては乾隆帝の欽定になる『武英殿本二十四史』(殿本)が最も流布していた[4]。しかし殿本には校勘・校刻の不備が指摘されており、張元済によって編纂事業が興されることとなった(四部叢刊も参照)。張元済は貴重な版本を博捜して、二十四史の版本の善本(できるだけ古く信用のおける版本)を選び、専門家による校勘を行った[4]。
『百衲本二十四史』に集められたのは、宋代の善本15種、元代の善本6種、明・清に初刻された3種の版本である。二十四史に含まれるそれぞれの史書の版には、基本的に単一の版本を使用している。たとえば『隋書』は元大徳九路刻本を[5]、『新唐書』は日本の静嘉堂文庫が所蔵する北宋嘉祐刻本を底本としている[6]。ただし、原本の欠けた部分をほかの版本で補ったものもあり、たとえば『金史』は北京図書館所蔵の元至正原刊本(80巻が現存)を影印し、欠けた55巻は涵芬楼蔵の元代の覆刻本(初覆本と再覆本)で補っている[7]。
第二次世界大戦後、大陸において魯迅旧蔵の『百衲本二十四史』の影印本が刊行されているほか、台湾商務印書館から補校を加えた『百衲本二十四史(新版)』(王雲五主編)が出版されている。
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