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台湾の囲碁棋士 ウィキペディアから
王 銘琬(おう めいえん、ワン ミンワン)は、台湾の囲碁棋士。日本棋院所属、九段、瓊韻社の富田忠夫名誉九段門下。プロ棋士鄭銘瑝、鄭銘琦は実弟。台湾プロ棋士の周俊勲は義弟(妹の夫)。
第34回棋道賞優秀棋士賞受賞。獲得タイトルに本因坊2期、王座1期など。
厚み重視の棋風で、「ゾーンプレス」と名付けた序・中盤理論に基づく中央重視の戦法など独特な感覚を見せ、「銘琬ワールド」とも呼ばれる。またTV番組での解説や著書などで見せるユーモアあふれる語り口も人気が高い。
台北市生まれ。1975年11月来日、日本棋院院生となる。1977年入段。林海峰の研究会などに参加。1984年六段。
1985年に名人、本因坊両リーグ入りして注目を集めるが、いずれも1期で陥落。1987年に新人王戦準優勝。1989年にNEC俊英囲碁トーナメント戦で棋戦初優勝。1991年の俊英囲碁トーナメント戦では、鄭銘瑝との兄弟対決を制した。1992年九段。 1998年の本因坊リーグ5勝2敗で王立誠と同率となるが、プレーオフで敗れる。
2000年の本因坊リーグで5勝2敗で挑戦者となり、趙善津に4-2で本因坊位奪取。応昌期杯ではベスト4に進出するが、常昊に敗れる。
2001年は張栩を4-3で退けて防衛。賞金ランキングで自己最高の4位につける。
2002年に加藤正夫に2-4で本因坊位を奪われる。同年趙治勲より3-2で王座位奪取。賞金ランキングで2年連続の4位。
2012年7月、第2回マスターズカップ決勝で二十五世本因坊治勲に勝利し優勝[1]。賞金ランキング9位にランクイン。
2015年06月04日、通算1000勝達成(571敗2持碁2無勝負)。日本棋院史上16人目。53歳6ヶ月・入段から38年2ヶ月・達成時勝率.637[2]。
2016年、第6回マスターズカップベスト4[3]。
「趣味は女房孝行」と公言した愛妻家でもある。妻の劉黎児は、2004年まで台湾有力紙中国時報の東京特派員を務め、その後フリーのエッセイスト。2005年夏、初の小説「棋神物語」(台湾から来日して囲碁棋士になった少年の物語)を出版。夫婦そろって台北で記者会見し各紙で大きく取り上げられた。
国際棋戦
国内棋戦
「ゾーンプレス」呼ばれる戦法は『棋道』誌1998年7-12月号の連載「新おすすめ正統思考法」で公表され、その後NHK囲碁講座、単行本等で紹介され、独特の理論が人気を集めた。従来の布石理論の、広いところから打つという基本原則をベースに、サッカーのゾーンプレス戦術のイメージを取り入れてさらに理論的な幅を持たせたものと考えられ、模様の幅(ゾーン)、相手の石への圧力(プレス)といった概念の有機的な結びつきによって「盤上のすべての石が働く」状態を目指したものである。実戦においては実利よりもゾーンを重視した場合に、斬新な着手として現れることがあり、実験的な手法と見られる場合もある。
目ハズシから黒1への珍しいシマリ(あるいは構え)をよく用いる。白がaやbに入ってくれば厳しく攻め立て、何も打たなければ黒cあるいはdで大きな地を確保できる。
小目から黒1への二間ジマリは人工知能が頻繁に採用している手だが、元々a、b、cのシマリに比べるとプロの碁でこの構えが打たれることは非常に少なかった。そんな中、王は人工知能登場以前からこのシマリを多用していた数少ない棋士であり、井山裕太はあるテレビ対局で解説を務めた際「時代が王先生に追いついた」と冗談を交えて話した。
黒3の大高目から二間ジマリ、黒7のヒラキなど独特な手法、そして黒15まで「メイエンワールド」の独特なスタイルが表れた一局。
GoTrend(ゴトレンド)は王銘琬の呼びかけにより、トレンドマイクロと台湾の国立東華大学教授の顔士浄などと共に2014年から開発された囲碁AI[4]。 2017年9月4日からインターネット囲碁の対局サイト「幽玄の間」で対局可能になっている[5][6]。
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