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江戸時代の藩主 (1707-1758) ウィキペディアから
牧野 康周(まきの やすちか、宝永4年(1707年) - 宝暦8年1月8日(1758年2月15日))は、信濃小諸藩の第2代藩主。越後長岡藩分家牧野家4代。
小諸藩初代藩主牧野康重の長男。生母は孝壽院。正室は六郷政晴の娘・玉子。子に牧野康満(長男)、本庄道堅(次男)、富田明親(三男)、座光寺為貴(四男)、娘(水野忠友正室)、娘(小堀政方正室)、娘(阿部正依正室)。官位は従五位下、内膳正。
幼名は弥吉。大蔵。享保5年(1720年)11月9日、将軍徳川吉宗に拝謁する。享保6年(1721年)12月8日、従五位下内膳正に叙任する。享保7年12月24日、父康重の死去より家督を相続する。享保10年3月12日、初めてお国入りする許可を得る。享保16年4月2日光祭礼奉行を務めた。寛保2年(1742年)12月、領内を襲った風水害により、幕府から2000料を拝借する。寛延4年(1751年)6月、財政危機のため、本家にあたる長岡藩主牧野忠利に対し、康満・康周父子の連名で支援を願い出る。宝暦8年(1758年)正月8日に死去し、跡を長男の康満が継いだ。墓所は長野県小諸市の牧野家墓地。
父母
正室
側室
子女
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