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江戸時代の藩主 (1732-1801) ウィキペディアから
牧野 康満(まきの やすみつ、享保17年10月12日(1732年11月29日) - 享和元年7月18日(1801年8月26日))は、信濃小諸藩の第3代藩主。越後長岡藩分家牧野家5代。
第2代藩主牧野康周の長男。母は大和田氏。正室は牧野貞通の娘・八千子。官位は従五位下、遠江守。子は牧野康陛(長男)、大井満捷(次男)、神保康布(三男)、金森康隆(四男)、細井正房(五男)、牧野康済(六男)、牧野康強(七男)、娘(牧野成融正室)、娘(松平信睦正室のち浅野長致継室)、娘(大嶋義順室)、娘(諏訪頼保継々室のち高木正雄室)、娘(大屋明矩室のち秋鹿周朝室)。
享保17年(1732年)、小諸で生まれる。幼名は大助。延享3年(1746年)8月27日に世子となる。寛延2年(1749年)12月18日に叙任する。宝暦8年(1758年)、父の死去により跡を継いだ。宝暦12年(1762年)12月9日には奏者番となり、天明4年(1784年)9月まで務めた。同年12月22日、長男の康陛に家督を譲って隠居し、酔月城華紅と号した。その後は俳句や絵画で才能を発揮している。享和元年(1801年)7月18日、70歳で江戸にて死去した。
父母
正室
子女
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