灘手村
日本の鳥取県東伯郡にあった村 ウィキペディアから
灘手村(なだてそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった村。現在の倉吉市の一部にあたる。
地理
歴史
- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、久米郡寺谷村、上神村、尾原村、穴沢村、北面村、別所村、鋤村、谷村、津原村が合併して村制施行し、灘手村が発足[1][2]。旧村名を継承した寺谷村、上神村、尾原村、穴沢村、北面村、別所村、鋤村、谷村、津原村の9大字を編成[2]。役場は大字穴沢村に設置し、その後、大字尾原村に移転[5]。
- 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]。
- 1914年(大正3年)11月1日、「灘手村大字○○村」から大字の「村」を削除し、「灘手村大字○○」と改称[6]。
- 1953年(昭和28年)10月1日、大字寺谷・上神が東伯郡倉吉町、西郷村、上井町、 上小鴨村、社村、上北条村、北谷村、高城村と合併し、市制施行して倉吉市を新設[1][2]。合併後、倉吉市大字寺谷・上神となり、灘手村は7大字となる[2]。
- 1955年(昭和30年)5月1日、倉吉市に編入され廃止[1][2]。編入後、倉吉市大字尾原・穴沢・北面・別所・鋤・谷・津原となる[2]。
産業
教育
名所・旧跡
- 上神大将塚古墳(円墳)[3]
脚注
参考文献
関連項目
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