江本城幸

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

江本 城幸(えもと じょうこう、1966年4月9日 - )は、富山県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード

概要 江本 城幸, 名前 ...
江本 城幸
名前
カタカナ エモト ジョウコウ
ラテン文字 EMOTO Joko
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1966-04-09) 1966年4月9日(58歳)
出身地 富山県[1]
身長 170cm[1]
体重 68kg[1]
選手情報
ポジション FW
ユース
1982-1984 東海大学第一高校
1985-1988 順天堂大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1989-1992 住友/鹿島アントラーズ 30 (10)
1993-1995 福島FC
1996-2000 FCプリメーロ
通算 30 (10)
代表歴
1982  日本Jrユース
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
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来歴

富山県富山市の出身で、小学6年時に岩瀬少年団の一員として全日本少年サッカー大会に出場し優秀選手に選出された[2]

中学から高校にかけて郷里の富山を離れて静岡県にサッカー留学[3]東海大学第一高校では2学年上に行徳浩二、同期に郷司弘和、1学年下に杉本雅央山田泰寛らがいる[4]。1年時には日本ジュニアユース代表に選ばれ、シンガポールで開催されたライオンシティカップ(16歳以下の国際大会)に出場した[5]高校選手権は1年時と3年時の静岡県予選で決勝進出を果たすも、1年時は清水東高校に、3年時は藤枝東高校に敗れたため出場はならなかった[4]

順天堂大学時代には大学選手権二連覇(1987年、1988年)、総理大臣杯優勝(1987年)に貢献。4年時の関東大学リーグでは得点王となった[6]

1989年に日本サッカーリーグ2部の住友金属(現在の鹿島アントラーズ)に加入[6]。1992年、プロ化により住金が鹿島アントラーズへ移行した後も在籍したが[7]、1993年のJリーグ開幕前に退団した[8]

鹿島を退団後は、国民体育大会に向けて強化が進めていた福島県に招かれて[9]福島FCに加入すると1995年10月の国体成年の部で優勝[10]。福島を退団後はFCプリメーロの選手としてプレーを続け、福島県代表として天皇杯などに出場した[3]

選手として活動する一方、1990年代半ばには郡山高校の教員を務めると共にサッカー部のコーチを務めた[9][11][12]。玉川村教育委員会を経て[3]、2000年に郡山高校に戻ると監督として第79回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した[9]。その後異動し、会津工業高校会津第二高校の監督や体育教師を務めている[10][13]

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦JSL杯/ナビスコ杯天皇杯期間通算
1989-90住金JSL2部16910
1990-911013120
1991-9291000
1992鹿島-J-000000
1993福島FC東北-
1994-
199510旧JFL-
1996プリメーロ福島県1部-
1997-
1998東北2部南-
1999東北1部-
2000-
通算日本J -000000
日本JSL2部 301030||||||||
日本旧JFL ||||colspan="2"|-||||||||
日本東北1部 ||||colspan="2"|-||||||||
日本東北2部南 ||||colspan="2"|-||||||||
日本福島県1部 ||||colspan="2"|-||||||||
総通算 ||||||||||||||
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  • JSL(2部)初出場:1989年8月5日 対三菱重工戦(三菱重工業調布グラウンド)
  • JSL(2部)初得点:1989年9月2日 対NTT関東戦(住友金属鹿島総合グラウンド)

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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