柄沢 晃弘(からさわ あきひろ、1961年9月3日[1][2] - )は、日本のアナウンサー。
概要 からさわ あきひろ柄沢 晃弘, プロフィール ...
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神奈川県出身[3][4]。血液型O型[4]。青山学院大学文学部卒業[5][6]。1984年4月、TBS[注釈 1]へアナウンサー第21期生として入社(同期は椎野茂)[7][8]。就職活動時には他によみうりテレビの試験も受けていた[9]。入社後は、主にスポーツ中継を担当[10][11]。1987年6月には、TBS初のヨットレース実況中継として「相模湾オープン・ヨット・レース」を担当した。1991年9月に退社[10][11]。
その後は、アメリカに留学[12]。留学中に当時アナウンサーを探していたWOWOWから誘いを受け、1992年にWOWOWへ入社。以後、主にサッカー中継を中心にスポーツ実況を担当している。熱心なバルセロナファンであり、時にバルセロナに偏った実況になってしまうことがあるが、それもまた個性として認知されている。
1998年には中田英寿のセリエAデビュー戦の実況を担当した[9]。
2017年春の人事異動で編成局編成部シニア・エグゼクティブ・アナウンサーへ昇格となった[13]。
WOWOW勤務の傍ら、民放労連のアナウンス研修会で講師を務めることもある[14]。また、2009年には早稲田セミナー専任講師に就任し、アナウンサー講座を担当していた[15]。
「特集 保存版TV アナウンサーキャスター365人・大集合(下)スポーツ、ワイドショー、バラエティー編」『週刊読売 = The Yomiuri weekly』第44巻第43号、読売新聞社、1985年10月20日号、130頁。「柄沢 晃弘(24)」と表記。
「特集 保存版TV アナウンサーキャスター365人・大集合(下)スポーツ、ワイドショー、バラエティー編」『週刊読売 = The Yomiuri weekly』第44巻第43号、読売新聞社、1985年10月20日号、130頁。「神奈川県出身」
「特集 保存版TV アナウンサーキャスター365人・大集合(下)スポーツ、ワイドショー、バラエティー編」『週刊読売 = The Yomiuri weekly』第44巻第43号、読売新聞社、1985年10月20日号、130頁。「青山学院大文卒」と明記。
出身大学は、WOWOW公式サイト内プロフィールにも明記。
東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、239頁。「1984.4<21期生> 2人入社(男2) 柄沢晃弘 椎野茂」
「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)、28-29頁。「84.4 <21期生>2人入社 柄沢 晃弘 椎野 茂」
東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、239頁。「柄沢晃弘[1991.9退社]『スポーツ中継(野球、アイスホッケー、バレーボール)』 R「サンデースポーツ(1989)」 TV「おはようニュース&スポーツ(1986)」「加ト茶の史上最大の作戦(1986)」」
「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)、28-29頁。「柄沢 晃弘…[91.9 退社] 『スポーツ中継(野球、アイスホッケー、バレーボール)』 R「サンデースポーツ(89)」 TV「おはようニュース&スポーツ(86)」「加ト茶の史上最大の作戦(86)」「ザ・ベストテン(89)」 ☆87.6 初のヨットレース実況中継(相模湾オープン・ヨットレース)」
2002-2003シーズン以来18年ぶりWOWOWで実況
「特集 保存版TV アナウンサーキャスター365人・大集合(下)スポーツ、ワイドショー、バラエティー編」『週刊読売 = The Yomiuri weekly』第44巻第43号、読売新聞社、1985年10月20日号、130頁。「「おはようニュース&スポーツ」のスポーツ担当」という記述あり。
- 『週刊読売』1985年10月20日号(読売新聞社発行)
- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。…国立国会図書館サーチの書誌情報
- 資料編
- 付録DVD-ROM『ハイブリッド検索編』
- ラジオ番組データベース
- 『TBSアナウンサーの動き』(ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書。PDFファイル)
- 各種外部リンク