朝鮮民主主義人民共和国の強制収容所
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朝鮮民主主義人民共和国の強制収容所とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)において、政治犯や刑事犯を収容する強制収容所である。
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基本的に脱北者や体制を批判した政治犯などが収容される。日本の刑務所や韓国の教導所に当たるが、これらの国での犯罪者への処遇とは違い、1日約12時間の非常に過酷な重労働を課せられ、監視員による理不尽な制裁(女性受刑者への性的暴行を含む)を受けることがある。多くの場合は国家保衛省によって秘密裏に拉致・拘禁され、裁判無しか、形式上裁判のみで収容所へ移送される。管理所と教化所では不衛生環境と栄養失調のために収容中に病死するか重労働での事故死が多い。
1960年代までは金日成の権力掌握過程において粛清された南朝鮮労働党派・延安派・ソ連派・甲山派などの分派主義者・宗派主義者・住民の成分分類作業において索出された反動分子の逮捕・収容が多かった。
1970・1980年代までは後継者問題による派閥抗争や、朝鮮人民軍の派閥対立関連の逮捕・収容(金正日の異母弟 金平一への追従を問われて収容されるなど)が多く、粛清対象派閥の所属人物と多少繋がりがあるだけでも収容される場合も少なくなかった。
1990年代以降は苦難の行軍が起因の経済犯罪による収容者が多かった(「国境の豆満江を無断渡航した者」「中国の延辺朝鮮族自治州の親類を頼り、食料や衣類などを仕入れてチャンマダンと呼ばれる闇市で商売した者」「国家財産を横領した者」など)。
2000年代以降は韓国脱北者団体「NK知識人連帯」によると、教化所の全収容者数の1/3以上が韓国映画・ドラマを視聴したために収監されたという。
2020年10月19日にヒューマン・ライツ・ウォッチは、北朝鮮における裁判前の被拘禁者の拷問・虐待・非衛生的状況を詳述した『"動物より価値が低い":北朝鮮の裁判前拘禁における虐待と適正手続き違反』と題する88ページの報告書を発表した[1]。
収容者のレベルが分類されており、最も重い「レベルI」から最も軽い「レベルIII」まで存在するが、最も軽い「レベルIII」でも1日数gの塩しか配給されず、虫や動物などの捕食によりタンパク質を補給しないと生きていけないとされている。捕獲が難しい冬期は地面に埋める死体を餌に獣を誘き寄せて捕食したり、人肉を食す場合もあるという。
最も厳しい「管理所」は2年-7年程度の有期刑の「革命化区域」と、終身刑の「完全統制区域」に分けられる。国家反逆罪(金一族への反逆行為など)を行った最重罪犯を収容する。稀に完全統制区域から革命化区域へと軽減移送されることがあるが、1日僅かな飼料用トウモロコシと塩水程度の飲食物しか与えられないため、どちらに収容されても無事に出所できる確率は非常に低い。
収容者は態度によってランク分けされ、「小隊長」や「班長」に任命された収容者は役得を得て他の収容者の監視や拷問を行う。食事は少ししか与えられず、餓死する者が多く、ネズミ・蛇・ゴキブリ・豚の餌・牛糞中のトウモロコシ実を食べることもあるという[4][5][6][7]。管理所の1日労働時間は約12時間であり、男女無差で罪状により農場・工場・果樹園・炭鉱・森林伐採・採石などの重労働が課せられる[7]。ノルマの果たせない者はノルマを果たすまで重い労働を徹夜で行わされたり、その場で銃殺されることもある[7][8]。班がその日の仕事目標を達成できない場合は班全員が集団で罰せられ、飢えと衰弱で目標達成できないと罰として殴打され、食料の割り当てを減らされ、仕事後の会議で他の囚人から厳しく非難されて叩かれ、病気になれば生産しなかったということで食事は与えられない[7]。
安明哲(元警備兵)は「政治犯は人間ではなく犬・豚と思え」と教育されたと語っている[9]。食事時間外の食事や運動時間外の運動などの規則違反の場合は「公開銃殺」「監視員の徒手格闘術の訓練台となる」「木に一日中縛り付ける」「棍棒で百数十回打たれる」といった罰が用意されており、銃殺とならなくても外傷性ショックによって結局は死亡する。収容者は男女問わず監視員の怒りに触れると死に至るまでの暴力・拷問を受け、管理所内部では監視員の気まぐれによる公開処刑も頻繁に行われている。監視員の不祥事は多く、発覚しても大半は処罰されない。収容所職員のための食品を生産する工場があり、配役された収容者は監視員との情交を条件にして酒・煙草・燻製肉・収容所外でも手に入らないような貴重品を受け取る機会を与えられるが、発覚すれば監視員は懲戒免職となり、出身成分(北朝鮮特有の身分差別制度)が低い人々がいる地域に追放され、情交した収容者は拷問後に公開銃殺刑となる。収容所付近には監視員と監視員家族が居住する集落もあり、監視員家族が収容者と顔を合わせることもあり、成人収容者が監視員家族と路上で鉢合わせした際は90度近い角度まで頭を下げ、子供に対して「先生様」と呼んで挨拶することが義務付けられている。若年女性収容者は国家保衛省の監視員から性的虐待を受けることもあるが、発覚した場合は女性収容者は拷問の末に殺されることも多く、監視員も収容者と関係を持ったことを理由に懲戒免職となり、鉱山送致となることがある。妊婦が収容された場合は「反動分子の子孫を絶やす」という理由で強制堕胎か、出産後に新生児を生きたまま窒息死させたり、殴打を繰り返して殺害する。生きたまま犬の餌にされた例もある。
管理所には「表彰結婚」という制度が存在し、国家保衛省が認めた「模範囚」とされる男女を1・2週間同居させ、生まれた子供(申東赫など)は「強制労働の労力」として生きたまま収容する場合がある。生まれた子供は強制労働の労力としか見做されず、収容所内学校では北朝鮮で通常教えられる金正日・金日成の存在も教えられず、足し算・引き算・労働に必要な単語しか教育されない。
10歳の子供は1日30回自分の体重より重い30kgの土入りの袋を持ち上げるように言われ、できないと教師に棒で叩かれ、最初の10回目を過ぎる頃に両脚が震え始め、体が痛み、肩の皮膚が擦り剥け、倒れそうになる[7]。高いセメント壁の上で3人の男性が作業をし、下で15歳の少女3人と少年2人がモルタルの補給作業をしていた時にセメントの壁が崩れ落ち、何トンものモルタルに全員が生き埋めになったが誰も助けようとせず、それ所か警備員たちは「作業を止めるな」と指示[7]。土を掘り200メートル離れた作業場に運ぶよう命令された時に崩れそうな小山があり、監督していた教師たちは子供たちに掘り続けるよう言ったが3日後に小山が突然崩れ、小山の頂上にいた子供6人の内3人が死亡、他の3人が重傷を負ったが教師たちは子供たちの不注意だと責めた[7]。
強制収容所で秩序を乱すとされた者は立つことも横になることもできない独房に入れられ、最低1週間閉じ込められる[7][8]。「水責め」(ビニール袋を頭から被り長い間水に沈める拷問)、「飛行機」(手足を後ろに縛り顔を地面に向け一日最高5回各30分間吊るされる拷問)、「睡眠剥奪」「爪の下に鋭利な竹片を刺す」「手錠・手首を縛って吊るす」などの拷問が行われている[7]。低い机に縛り付けられ、ヤカンを口に押し込まれて水を飲まされる拷問もあり、少しすると口中は水で溢れて鼻に水が入り始め、鋭い痛みを感じ、息詰りで失神し、目覚めると尋問官が膨れ上がった腹の上に置いた板の上でジャンプして水を吐き出させる[7]。苦しく嘔吐し始め、立ち上がれなく独房に連れ戻され、高熱に苦しめられて意識を失い、その後5ヶ月間吊るし拷問に遭う[7]。
多くの管理所は国家保衛省(秘密警察)の第7局(農場指導局)の管轄にあるが、社会安全省(旧人民保安部、一般警察)の管轄管理所も存在し、収容者は約20万人から30万人といわれる[10]。2004年に第15号管理所の映像がフジテレビにより報道された。
有名元収容者には申東赫・姜哲煥・安赫・金恵淑・オットー・ワームビアなどがおり、証言が確認されている。
収容所を取り囲む鉄条網を超えて逃走を図った者は発見次第射殺されるが、冬は雪に閉ざされる人里離れた土地柄であり、過酷な処遇による衰弱、極度の心労・精神的苦痛が収容者の脱走を困難にしている。脱走者は捕まった後、2-3ヶ月間の尋問後に処刑される[7]。収容所は人里離れた中山間地域や山に囲まれた河川の上流部に立地し、鉄条網と武装した監視員で広大な土地を取り囲んでいる。アメリカの人工衛星が撮影した北朝鮮全体の画像と、元受刑者・元警備兵の証言により約20ヶ所の強制収容所所在地と名称が確認されたという。アムネスティによると、6ヶ所の政治犯収容所が稼動し、約20万人の政治犯がいるという。現在はおよそ5ヶ所に縮小され、1つは一般刑務所として転用されたという[12]。
北朝鮮には収容者の自殺を防止するための社会的システムがあり、自殺者が発生した場合は当局から「金日成・正日親子に対する反逆責任を免れるために自殺した」と見なされ、連座制により遺族が公開場に引き出されて危害を加えられたり侮辱される。こうすることで収容者の自殺は抑止されるといい、処遇に耐えかねた収容者が自殺することは極めて稀である。政治犯は李氏朝鮮時代と同様に連座制で処分されており、反動分子抑止を理由に親子孫三代が収容か、中山間地域や炭鉱などへの僻地への追放処分となる。
疾病収容者は収容所内病院にて治療可能という建前があるが、実態は国家保衛省所属医師団の判断で「治験」と称する各種の人体実験を受けるか、治療されずに病院と称される隔離バラックに押し込まれて死亡する。死亡後は刑墓に埋葬されずに田畑の深い場所に肥料として埋められたり、近くに掘られた穴に適当に埋められたり、収容所の警備用軍用犬の餌にされたりする。疾病収容者に対して行われる「治験」は、外科手術適応外の患者に対して困難な手術を強行したり、動物実験を済ませていない開発中の新薬を使用して治療を行う事実上の人体実験である。近年では北朝鮮の主輸出品である大麻・ハッシシ・阿片・ヘロイン・覚醒剤などの乱用が人の脳や臓器をいかにして破壊し、廃人にしていくかという薬物乱用の過程を調査したり、細菌やウイルスの研究、生体解剖、放射線・放射性物質が人体に与える悪影響の確認実験が行われているとされる。患者である収容者が死亡した場合は収容者の遺体の各部位から取り出した組織を標本にして様々な研究が継続される。脱北者団体によると医師団は酒や薬物を乱用しながら「治験」を行うといい、生体解剖による虐殺が繰り返されているという。
2007年6月28日に都希侖(被拉脱北者人権連帯事務総長)は脱北者による証言を発表した[13]。脱北者によると、数名の日本人拉致被害者が北朝鮮の管理所に収容されており、2003年7月に両江道北部地域の管理所を巡視した時に、日本人拉致被害者がいると聞いたという[13]。その日本人は約60歳であり、集団作業していた人々とは異なり、1人で腰を屈めたままボイラーに石炭を焚べる作業をしており、警備兵が近くで監視していたという[13]。また収容所の責任者から日本人拉致被害者が3・4人いるという話を聞いたという[13]。
管理所のいくつかは1959年から行われた祖国帰国事業により日本から北朝鮮へ渡った元在日朝鮮人とその日本人妻も多く収容されている。北朝鮮の工作機関は日本在住の在日朝鮮人に、北朝鮮在住の親族を強制収容所に収容することを仄めかして脅迫し、北朝鮮本国への献金を強要したり、土台人に仕立て上げている。民主主義経験者である元在日朝鮮人の帰国者と日本人妻は、北朝鮮社会のルサンチマン(憎悪)の対象として迫害されており、強制収容所に送られた帰国者は特に過酷な処遇を受けているという。安明哲の証言によると、強制収容所収監の日本人妻が「日本のスパイ・植民地支配者」として警棒で撲殺される現場を目撃したという。
教化所は管理所とは異なり、再教育が目的である教化所の収容者は仕事後にイデオロギー指導を受け、金一族の演説を暗記し「自己批判」を行うことを強要される[2]。
李順玉は价川女子刑務所に服役経験があり、氷点下を下回る温度の冷水シャワーを浴びるという拷問を受け、他の6人は死亡したという[14]。その後に短期公開裁判にて長期の実刑判決が下された[15][16]。李は价川強制収容所(第1号教化所)での収容経験を基に『尾のない動物の目:北朝鮮女性受刑者の回想録』を記し、アメリカ連邦議会上院の前で証言した[17]。
2014年10月に北朝鮮は労働収容所の存在を初めて認め、チェ・ミョンナム(北朝鮮外務省所属)は「法律・実務の両方で我々は労働収容所、いや拘置所を通じて改革を行っている。そこでは人々は精神を通じて改善され、不正行為に目を向けている」と語った[18]。
有名元収容者にはパク・ヨンミなどがいる。
ケネス・ベー(ペ・ジュンホ、韓国系アメリカ人)は2012-2014年の735日間、北朝鮮に抑留された[19]。2013年4月に北朝鮮最高裁によって国家転覆陰謀罪により15年の労働教化刑の判決を受け、5月に米国人として初めて北朝鮮の教化所に収容された[20]。ベーによると、平壌中心部から自動車で20分の農村地帯に外国人専用の教化所があり、職員は30・40名おり、独房は8部屋ある[20]。教化所には監視カメラが3台設置されており、就寝時以外は椅子に座っていなければならなかった。部屋には浴槽がなく、バケツに溜めた水で1日1回身体を洗った。冬の暖房はあったが冷房がなく、夏は窓を開けたが、虫がたくさん部屋に入ってきて悩ませた。着衣は2着支給されたのみであった。電灯はなく、灯りはろうそくだけであった[20]。週に6日間労働を強制され、午前8時から午後6時まで農作業や石炭粉製造の作業に従事させられた[20]。午後8時から午後10時までは朝鮮中央テレビの視聴を強制され、苦痛であったという[20]。夏の食事は米飯と汁でナムルが出たり、菓子や魚も少し出るなど比較的食糧は豊富であったが、冬は食事が少なく、塩辛と汁だけであり、ベーは体重が27kg落ちた。収容所入所3ヶ月後に栄養失調になったために病院に移送された[19][21]。
元収容者・元警備兵による著書
関連書籍
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