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1997年に公開された日本のアニメ映画 ウィキペディアから
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(しんせいきエヴァンゲリオンげきじょうばん エアー まごころをきみに、英題:The End of Evangelion)は、1997年7月19日公開のアニメーション映画。『新世紀エヴァンゲリオン』の劇場版で、テレビアニメとは異なる結末を描いた第25話『Air』(エアー)と第26話『まごころを、君に』からなる2部構成である。
新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air / まごころを、君に | |
---|---|
The End of Evangelion | |
監督 |
庵野秀明(総監督、26話監督) 鶴巻和哉(25話監督) |
脚本 | 庵野秀明 |
製作 |
角川歴彦 池口之夫 山賀博之 倉益琢眞 |
出演者 |
緒方恵美 三石琴乃 林原めぐみ 宮村優子 山口由里子 立木文彦 清川元夢 子安武人 結城比呂 長沢美樹 山寺宏一 石田彰 麦人 |
音楽 | 鷺巣詩郎 |
主題歌 |
LOREN & MASH 「THANATOS -IF I CAN'T BE YOURS-」 |
撮影 | 白井久男 |
編集 | 三木幸子 |
制作会社 | Production I.G、GAINAX |
製作会社 | EVA製作委員会[注 1] |
配給 |
東映 マンガ・エンターテイメント |
公開 | 1997年7月19日 |
上映時間 |
87分 第25話『Air』約46分 第26話『まごころを、君に』約40分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
興行収入 | 24億7000万円[要出典] |
配給収入 | 14.5億円[1] |
前作 | シト新生 |
次作 | DEATH (TRUE)² / Air / まごころを、君に |
通称は「夏エヴァ」[2]、「EOE」[3][要ページ番号]。後に公開されたリメイク・リブート作品『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』と区別して、「旧劇場版」とも呼ばれる。
前作『シト新生』の『DEATH』の再修正版『DEATH (TRUE)²』と本作品2話の計3編を合わせた、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH (TRUE)2 / Air / まごころを、君に』が1998年3月7日に上映された[4]。
1995年秋から1996年春まで放送された同テレビアニメシリーズ、碇シンジを中心に主要登場人物の心の中を描いた『新世紀エヴァンゲリオン』の第弐拾伍話と最終話をリメイクし、そのとき作品世界で実際には何が起きていたのかを描いて上映されたものである[注 2][注 3]。本作品をもって『新世紀エヴァンゲリオン』は完結を迎えた。
当初は1997年春公開の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』において上映される予定の内容であり、1997年夏には「完全新作の劇場版」が公開される予定であったが、『シト新生』におけるテレビ版リメイク部『REBIRTH』編の制作が間に合わず途中までの公開となり、同年夏に『REBIRTH』編を完成させたものとして本作品が公開されることとなった(詳細は『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生#概要』を参照)。なお、『REBIRTH』編で公開されていた部分についてはアフレコ、SE、BGMの録り直しや、画面上での若干の修正、追加が行われている[5]。
第25話『Air』(エアー)は、劇中BGMに使われているヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲の『管弦楽組曲第3番』の第2曲「G線上のアリア」(Air)から。また第26話『まごころを、君に』は、ダニエル・キイスの著作『アルジャーノンに花束を』が映画化された時の邦題「まごころを君に」から採られた。
前売券は特典でオリジナルポスターが付いたものが発売された[6]。また『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』の前売券も、未使用の分に限り使用可能な措置がとられている。公開2日前の7月17日には、よみうりホールにてテレビ東京系列試写会が開催された[6]。
NERVによって全ての使徒は倒されたが、一時は無二の友と信じた渚カヲルを第17の使徒・タブリスとして自らの手で殲滅しなければならなかった碇シンジは、精神的に追い詰められ生きようとする意志を失っていた。一方、ゼーレは人類のすべてを単体の生命へ還元し、神のもとへ回帰する人類補完計画=サードインパクトを発動しようとするが、自らが神に近い存在となって妻・碇ユイと再会しようとする碇ゲンドウはこれを拒否し、両者は決裂する。ゼーレはNERVの他支部すべてのMAGIコピーを用いたNERV本部のMAGIへのハッキングを仕掛け、実質的なNERV本部の無力化とEVAの確保を狙うが、ゲンドウは反乱の咎で監禁していた赤木リツコに命じてハッキングを阻止させる。ゼーレは次いで日本政府に「NERVこそが人類を絶滅させようとする陰謀の中心であった」という虚偽の情報を流し、戦略自衛隊(戦自)を動かすことでNERV本部の武力占拠を開始する。
非戦闘員への無条件発砲すら許可される虐殺が繰り広げられ、施設が次々と破壊・占拠されていく中、シンジは戦自隊員に発見されて殺されそうになるが、駆け付けた葛城ミサトに救出される。亡き加持リョウジの遺志を継いでセカンドインパクトの真相を調べていたミサトは、使徒と人類の戦いは「アダム」から生まれた生命と「リリス」から生まれた生命の生存競争であったという事実と、ゼーレの陰謀をシンジに説明し、共にEVA初号機の元へ向かう。しかしミサトは戦自の銃撃からシンジを庇い、シンジに悔いの無いように生きるよう言い残して絶命する。そのころゲンドウは、後事を冬月コウゾウに託し、綾波レイとともにターミナルドグマへと向かうが、そこにはリツコが先回りしていた。MAGIへのハッキングを阻止した際にNERV本部の自爆用隠しコマンドを仕込んでいたリツコは、ゲンドウの夢が叶わんとする寸前でコマンドを起動するが、MAGI3体の全会一致を必要とする自爆決議は自らと同じゲンドウの愛人であった母・赤木ナオコの「女としての部分」を移植された「カスパー」によって否決され、自身もゲンドウに射殺される。
一方、戦自から逃れるため、病室からEVA弐号機のコクピットに移されていた廃人状態の惣流・アスカ・ラングレーは死の恐怖に震えていたが、弐号機のコアに母の魂が取り込まれていることに気付き、復活を遂げて戦自部隊を壊滅させる。アスカと弐号機はゼーレが投入した9体のEVA量産機も倒すが、量産機の再生・復活能力を前に活動限界を迎え、動けなくなったところを鳥葬のように貪られていく。弐号機はアスカの憎悪と憤怒を糧に暴走を始めるが、量産機に止めを刺され完全に沈黙する。
一度はミサトの遺言に心を動かしたシンジであったが、戦自が流し込んだ硬化ベークライトで封印された初号機の姿を前に再度意気消沈し、アスカと弐号機の危機を知らされても何もできずにいた。その時、あたかもシンジを叱咤するかのように無人の初号機がベークライトを割って起動する。初号機に導かれるままに出撃し、意を決して戦場を見据えたシンジの目に映ったものは、弐号機の肉片をついばみながら宙を飛び回る量産機の群れであった。凄惨な光景を目の当たりにしたシンジは、錯乱し絶叫する。
ゲンドウは自らの右手に移植した第1使徒アダムの肉体と共に、第2使徒リリスの魂をもつレイとの融合を試みるが、レイはそれを拒否し、アダムのみを取り込んでリリスと融合を果たす。リリスはシンジの元に向かうが、シンジの絶望が引き金となり、彼を乗せたEVA初号機を依代として、ゼーレが意図する形でのサードインパクトが始まる。NERV本部が位置するジオフロントは、その真下に埋もれていた「黒き月」ごと浮上し、巨大化したリリスの眼前に移動していく。
リリスからアンチA.T.フィールドが世界中に放たれ、これによって個体の生命体としての姿を保てなくなった人類は次々と液状(L.C.L.)化し、その魂は黒き月に集められていく。初号機はロンギヌスの槍と融合してリリスに取り込まれ、シンジは人類が補完された世界で、自他の内面と向き合う。最後にレイとカヲルに再会し、サードインパクトの行く末を委ねられたシンジは、人類が単体の生命となることを望まず、個々として存在する従来の世界を望む。サードインパクトは中断され、崩壊していくリリスから出現した初号機は、ロンギヌスの槍と共に宇宙の彼方へ飛び去っていく。レイは、誰もがヒトの形に戻れる可能性があることをシンジに告げる。シンジは初号機の核に宿るユイの存在を知り、別れを告げる。
L.C.L.の赤い海から浮上したシンジは、気が付くと白い砂浜に一切の反応を示さないアスカと共に横たわっていた。シンジは補完された世界で最後まで自分を拒絶したアスカの首を絞めていくが、その最中に彼女から頬を撫でられる。アスカの真意に気づき、手を放して嗚咽するシンジに、アスカは「気持ち悪い」と言い放つのであった。
劇場版では、テレビシリーズの第弐拾伍話と最終話では語られることのなかった、もう1つのエンディングを映像化している。使徒ではなくヒトの手によるサードインパクトの発動(無への回帰による贖罪と完全な単体生命への進化)を目指すゼーレと、それを阻止しようとするミサトたちの戦い、アダムとリリスの融合によってゼーレとは異なる人類の補完を目指すゲンドウなどが描かれ、戦略自衛隊によるNERV本部への強襲、ゼーレによるエヴァンゲリオン量産機の投入などが、過激な死の描写とともに描かれていく。その一方、テレビシリーズ第弐拾伍話と最終話同様にシンジの精神世界が描かれる。
プロデューサーの大月俊倫は「あまり言うとネタバレになっちゃうんですが(笑)12年前の『エヴァ』では、あの頃の社会状況や庵野さんの内面の問題があったりして、特に劇場版は世界が破滅して、シンジとアスカだけ生き残るという破滅的な形で終わりましたから、あの続きはありえないんですよ」とシンジとアスカのみが生存との製作側の認識を示している[10]。同様に劇場版主題歌「魂のルフラン」の歌詞についての及川眠子へのインタビューでも、「みんな死んじゃうから、というので輪廻をテーマにしたんです」、「魂のルフランはこれで終わりという歌ですから、新しい詞は書きようがないんですね。輪廻を出してしまったら次はないですよ。今度の映画ではみんな死んじゃったんでしょ」、「打ち合わせの時にみんな死んじゃうんですかって(庵野に)聞いたら、次が出来ないように殺しちゃうんです。もう疲れましたからって(笑)」と述べている。
シンジ役の緒方恵美は、ラストシーンについては、庵野監督から「申し訳ないけど、シンジではなく、俺にシンクロしてくれ」「ここだけは俺になってくれ」と言われて、どう演じて良いのか困っていると、その時に監督から求められたのが「初めて自分のことを自分で抱きしめてあげられた瞬間を演じて欲しい」との事だったと明かした[11]。
また、大槻ケンヂとの対談でどういう話(テーマ)なのかと聞かれた際、庵野は「最終的には、いいじゃん、他人がいても、ということですね」と述べている[12]。
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
1998年、劇場版BOX(VHS・LD)に先行して発売されたテレビシリーズのビデオ版(VHS・LD)にはテレビシリーズ第弐拾伍話とビデオ版第25話[注 10]が、最終話とビデオ版第26話[注 11]が併行して収録された。後に発売されたDVD[注 12]にはテレビシリーズ第弐拾伍話・最終話とビデオ版第25話・第26話が併行して収録された。このビデオ版第25話・第26話の内容は劇場版第25話・第26話と同じであるが、劇場版とは異なる部分がある。
なお、ビデオ版第25話・第26話は2003年のDVDリニューアルに際してはテレビシリーズ第弐拾伍話と最終話に併行して収録されなくなったが、2015年8月26日に発売されたBlu-ray BOXにVHS・LD版に収録[注 22]されたビデオ版第25話・第26話がビデオフォーマット版として再収録された。ただし、VHS・LD版、およびリニューアル以前のDVD版の収録内容とは異なり、テレビシリーズ第弐拾伍話と最終話とは同時収録されていない[23]。
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