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數土 文夫(すど ふみお、1941年(昭和16年)3月3日 - )は、JFEホールディングス第2代社長・相談役、元日本放送協会経営委員会委員長。元東京電力ホールディングス取締役会長。
富山県旧富山市の村役人を務めた家に生まれ、父は国語教師で、石動高校と新湊高校で校長を務め、婦中町教育長も務めた數土寅夫[1]。富山県立富山中部高等学校、北海道大学工学部冶金工学科を卒業後、川崎製鉄に入社。
剛腕の経営者として知られ、為替、金利など経済・経営全般に関する発言も見られる。中国の古典を愛読。兄の直方はエスエス製薬名誉会長。東京大学工学部を卒業し、泰道照山の三女と結婚した[2]。弟の数土武夫も東京大学工学部卒で、同仁医薬化工社長、エスエス製薬取締役を務めた[2]。
冶金技術者で、社外論文を100件近く発表。本社では経営企画管掌の常務、副社長などを歴任する。NKKとの経営統合を決めた江本寛治の後を受け、川崎製鉄の最後の社長に就任。統合後の鉄鋼事業会社JFEスチールの初代社長となる。2005年4月に馬田一にJFEスチール社長を託し、下垣内洋一の後を受けてグループを統括するJFEホールディングス社長に就任。
2007年4月より経済同友会副代表幹事(地球環境・エネルギー委員長)。日本経団連では木村惠司(三菱地所社長)と防災に関する共同委員長を務める。
2011年には国会の議決により日本放送協会経営委員会委員に指名され[3]、4月12日の日本放送協会経営委員会にて、日本放送協会の最高責任者である委員長に選出された[4]。2012年5月には、東京電力が社外取締役への起用を発表。兼職の意向を示していたものの、NHK経営委員長の東電役職の兼務は報道の公平性に影響を与えるとの批判を受け、24日、NHK経営委員と経営委員長の辞任を発表した[5][6]。
2014年4月1日、東京電力会長に就任した[7]。会長就任後の初仕事は、東電歴代首脳を輩出した企画部を解体し、経営改革本部事務局と統合。企画担当の村松衛常務を6月末で退任させ、原発専門の日本原子力発電副社長へ送り込む人事を断行した[8][9][10]。やがて守旧派と目されていた廣瀬直己社長との対立が先鋭化し、廣瀬を更迭して小早川智明を後任社長に据えるため、刺し違える形で2017年6月、退任[11]。
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