小野千株
平安時代初期から前期にかけての貴族 ウィキペディアから
平安時代初期から前期にかけての貴族 ウィキペディアから
天長10年(833年)従五位下に叙爵し、翌承和元年(834年)尾張介に任ぜられる。その後も、備中守・出羽守・土佐守と仁明朝において地方官を歴任した。嘉祥3年(850年)3月に仁明天皇が崩御した際に、少納言・県犬養氏河と共に鈴印の櫃の守護を担当する[1]。またその初七日に際して功徳を修めるために近陵7ヶ所の寺院に遣使が行われた際、紀伊寺使を務めている[2]。
文徳朝に入り同年4月に右近衛少将に任ぜられ、翌嘉祥4年(851年)従五位上に叙せられる。しかし、仁寿4年(854年)備前守に転じ、文徳朝後半は再び地方官を務めた。
その後散位となり、清和朝の貞観2年(860年)正月に内匠頭に補任されて京官に復すが、同年6月播磨守となり三度地方官に転じている。
『六国史』による。
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