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日本の氏族 ウィキペディアから
祖は薩摩国守護島津氏9代当主・忠国の七男である島津忠弘で、忠弘が薩摩国喜入(現・鹿児島市喜入地域)を父より拝領し領有したことに始まる。ただし、初代より喜入姓を名乗ったわけではなく、喜入5代当主である島津忠賢(後の喜入季久)とその弟らの代から、宗家15代当主・島津貴久の命により称し始めた。
忠弘の弟で島津忠国の八男・頼久は指宿(現・指宿市)を与えられていたが、後継ぎがなかったため忠弘に指宿を譲渡しようとした。忠弘は自らの男子(後の忠誉)が幼少であることから、頼久を自らの養子として、実子を頼久の養子とした。これにより以後、喜入と指宿とを併有することとなる。5代・季久は喜入と指宿、さらに薩摩鹿籠(現・枕崎市)を併有したが、6代・久道の頃に永吉(現・鹿児島市永吉)へ転封となり、文禄4年(1595年)喜入の地は肝付氏の領有に帰した。7代・忠続の頃には薩摩鹿籠へ再び転封され、江戸時代はその地のみの領有となるも、藩主島津光久の子が養子となり継いだことで家格は一所持とされる。
偏諱は、正徳年間以降より嫡流にのみ「久」の字が許され、庶流以下は3代当主・忠誉の一字より取って「誉」の字とされた。また喜入の姓は、直別支流であることから、士分以下や他家の奉公人は称することが許されず、名乗っていたものは改姓を命じられた。
島津忠国 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[相州家] 友久 | 立久 | 久逸 | [桂氏] 勝久 | [迫水氏] 忠経 | 守棟 | [喜入氏] 忠弘1 | 頼久 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
頼久2 | 忠誉 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠誉3 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠俊4 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
季久5 | 忠道 | 久続 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
久道6 | [義岡氏] 義岡久延 | 久親 | 忠続7 | 久正 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
島津忠栄 | 忠高8 | 久供 | 久憲 | 川上久信 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠長9 | 島津久憲 | 久守 | 市来家賀 | 久治 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
久亮10 | 久則 | 姶良忠包 | 伊尻祐幾 | 久甫 | 有馬純昌 | 伊東祐養 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
久致11 | 誉清 | 久峯12 | 久尚 | 佐多直房 | 久堅(誉張) | 有馬純茂 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
誉長 | 国分友貞 | 伊瀬知好延 | 誉貞 | 誉昌 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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