原田神社
大阪府豊中市中央部にある神社 ウィキペディアから
大阪府豊中市中央部にある神社 ウィキペディアから
原田神社の社伝によると、桜塚古墳群の故地に4世紀中から5世紀末頃創建されたとされ、古代には素戔嗚尊など五神をまつり祇園神社と称した。また「天正十四年四月古記録」と題する文献によれば、白鳳12年(684年)6月18日に天武天皇が神宝・神鏡・獅子頭を奉納したとあるが、これは伝承を後年に記録したものであり、実際の創立年代は明らかではない[1]。
鎌倉時代以降には牛頭天王信仰と習合し、東は豊島郡榎坂村(現吹田市江坂)から、西は川辺郡富松村(現尼崎市富松)にわたる摂津国中西部72村の産土(うぶすな)神社となり、「西牧総社」と呼ばれ崇められた[2]。また足利氏、殊に義澄、義晴、義輝の3代からは厚い信仰を受け、神領として西牧六車(むぐるま)の庄[注釈 1](桜塚・原田・曾根・勝部・走井・福井)の寄進をうけている。
天正6年(1578年)に荒木村重の兵火にかかり、境内社の十二社殿本殿及び神宝等を除き全焼。仮殿を経て慶安5年(1652年)、現在の本殿が再建された。もとは桜塚神祠とも牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とも呼ばれていたが、貞享2年(1685年)8月に神祇管領の吉田大納言家から「原田大明神」の神号を得て現在の社名となった[3]。
江戸時代に入ると境内地は狭められていったが、境内地に接した門前町は能勢街道と伊丹街道の結節点としても栄えるようになり、この市街地が現在の岡町の基となった。明治43年(1910年)に開通したころの阪急電車の写真を見ると神社の中に岡町駅があるように見える。
近代社格制度のもと、明治に入って郷社に列格されたが、昭和16年(1941年)に府社に昇格した。現在、神社本庁には加盟していない単立神社である。
豊中市の無形民俗文化財に指定されている[8]。天武12年(684年)悪疫退除のため、獅子頭を奉じて天養2年(1145年)まで数百年にわたって各地を回ったと伝えられている。明治以降、毎年9月26日を御出始式とし、その日申の正刻(午後4時頃)に祭事を行い、9月30日獅子頭を神輿で御旅所(おたびしょ)に遷し、10月1日神社前の舞台で獅子の舞が行われる。舞には、起舞(たつまい)・臥舞(ねまい)・早舞などがあり、この日は臥舞が行われる。
10月2日から8日まで各氏子地区(12地区)の順に祭が行われる。10月9日夕刻、境内で行われる宵宮祭は、各氏子地区より持寄られた神輿や氏子達に囲まれ、大松明の燃えさかる炎の中で獅子頭(「おてんさん」と呼ばれている)が様々な舞を舞う。
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