冷泉為広
室町時代後期から戦国時代の公卿・歌人。正二位・権大納言、民部卿。上冷泉家6代。出家 ウィキペディアから
冷泉 為広(れいぜい ためひろ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公卿・歌人。権大納言・冷泉為富の子。官位は正二位・権大納言。上冷泉家6代当主。
経歴
文明9年(1477年)、従三位に叙位。文亀元年(1501年)に正二位に昇り、永正3年(1506年)に権大納言兼民部卿に至る。11代将軍・足利義澄の室町幕府・相伴衆を務め、永正5年(1508年)に義澄が将軍職を追われると、それに従って出家して宗清と号した。
能登国守護の能登畠山氏と最も親しく、能登に長らく在国し、同国で薨去したともいわれる。
歌人としては、『為広卿集』『為広詠草』などの歌集が伝わる。
文献における記載
『耳嚢』巻之一「為広塚の事」に以下の記述がある。
- 加賀・能登の境に、冷泉為広の歌塚といへる物有し由。左に記す。
- 季世尓残牟
- 為広塚加能
- 跡動無建碑
- 如斯にて歌に詠じ侍れば、
- すゑの代に残さんがため広塚のあと動ぎなくたつる石ふみ
系譜
注記のないものは「御子左系図」『続群書類従』巻第148所収による。
脚注
出典
関連項目
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