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日本の実業家 ウィキペディアから
佐川 明(さがわ あきら、旧姓:森本、1914年(大正3年)11月5日 - 2005年(平成17年)1月4日)は、日本の実業家。栗田工業社長。
兵庫県出身。森本茂の次男として生まれる[1]。7歳のときに父親が死去、幼い頃から本の行商をさせられるなど、祖母に厳しく育てられる[2]。
1940年(昭和15年)東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。学生時代はラグビー部員[2]。卒業後神戸に戻り、伊藤忠商事大阪本社に入社。その後徴兵されて満洲に渡り、一時帰国の際に神戸の貿易商(佐川商店社長)の佐川与一の長女・登美子と結婚して佐川家に婿入りする[3][4]。
敗戦後、シベリアに抑留される。そのさなか、長女が産まれて十日で死ぬ。1947年帰国し、伊藤忠に復職[2]。1956年(昭和31年)、東京日本橋のボイラーメーカー横山工業に出向となり、一家で鎌倉に転居。参与資財部長を経て同年12月取締役に選任され、1959年(昭和34年)11月に復帰。1964年(昭和39年)参与機械第一本部長となり1965年(昭和40年)4月栗田工業に出向。その後同社社長として同社の建て直しに尽くすが、長男・佐川一政がパリで女性殺害事件(パリ人肉事件)を起こし、何度もパリへ出向いて弁護士を雇い息子のために奔走、脳梗塞で倒れる[5]。その後も一政を支え続けるが、2002年、三度目の脳梗塞に襲われ、死去の翌日、妻も死去した(『週刊新潮』2005年1月27日)。月刊誌『創』2002年8月号に一政の「パリ人肉事件から20余年 父が逝った。その時私は……」が載ったが、これは小説として書いたもの。
父・森本茂(朝日新聞論説委員)
養父・佐川与一(1898年生) ‐ 貿易商、佐川商店代表。米穀商。兵庫県・佐川善治郎次男。[6]
妻・登美子(1923-2005) ‐ 佐川与一の長女、山手高女出身。富商の娘として神戸で育ち、16歳で20歳の明と結婚、夫の出征先の満州へ渡るも、夫がソ連の捕虜となりシベリアへ抑留、夫不在のまま長女を出産するも早世し、満州各地を渡り歩いたのち、戦後単身帰国し、2児を儲けた[6][2]。晩年は夫の介護の中、間質性肺炎を患い、夫が没した翌日、別の病院で亡くなった[7]。
長男・一政(1949-2022) ‐ 作家。パリ人肉事件の犯人。
次男・純(1950年生) ‐ 油彩画家。聖ミカエル学園を経て鎌倉市立御成小学校、同市立御成中学校、慶應義塾志木高等学校、慶応大学文学部、東京デザイナー学院を出て、父親の伝手で広告代理店の宣伝部に勤務、50歳で早期退職し、画家となる。2017年に兄とともにフランスのドキュメンタリー映画『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』に出演、2019年、自伝『カニバの弟』を上梓し、家族や自身の性癖や生活保護生活などを告白した。
義弟・満男(歌手)登美子の実弟。
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