1730-1773, 江戸中期の大坂の歌舞伎狂言作者。 ウィキペディアから
初代並木正三(なみき しょうぞう、1730年〈享保15年〉 - 1773年3月9日〈安永2年2月17日〉)は、江戸時代中期の歌舞伎狂言作者。「正三」の部分は「しょうざ」とも読む[1][2][3]。
道頓堀の芝居茶屋和泉屋正兵衛の子として、大坂に生まれる[4]。幼少から芝居に親しみ、14歳か15歳の時、『若水千歳狐』で水船の仕掛けを考案する[4]。1749年(寛延2年)、大西庄三の名で『男作養老滝』を製作、同年11月、大西の芝居に転じ、泉屋正三と改称して立作者となった[4]。1751年(寛永4年)、並木宗輔の門に入り、豊竹座で『日蓮聖人御法海』『一谷嫩軍記』の執筆に携わる[4]。その後、角の居芝居の作者を兼ね、宗輔の没後は歌舞伎作者に専念した[4]。1773年(安永2年)に急死[4]。
原作を利用しつつ奇想天外な改作を得意とし、訳物の名人と言われた[4]。また、1758年(宝暦8年)『三十石艠始』で回り舞台を角座に設けたほか、引き道具やがんどう返し、宙乗りといった舞台仕掛けを考案して[3]歌舞伎独自の演劇性を明確化、浄瑠璃と歌舞伎の地位を逆転させ、上方歌舞伎の全盛期をもたらした[4]。現在の歌舞伎のエンターティメント的要素の多くは、正三の作品にすでに含まれていたと評される[3]。
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