ワシントンDCインターナショナル

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ワシントンDCインターナショナルWashington, D.C. International)とは、1952年から1994年まで行われていたアメリカ合衆国競馬国際競走平地競走)である。

概要 ワシントンDCインターナショナル Washington, D.C. International, 競馬場 ...
ワシントンDCインターナショナル
Washington, D.C. International
競馬場 ローレルパーク競馬場
創設 1952年
距離 芝1マイル1/4(10ハロン
格付け G1(廃止時)
出走条件 サラブレッド3歳上
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日本ではワシントンDC国際とも訳され、インビテーショナルレース(招待競走)であったことからワシントンDC国際招待などと表記される場合もあった。ステークスと表記されることがあるが、少なくとも創設時から1968年まではステークスではない[1]。以下は記事名の表記に統一して説明する。

概要

要約
視点

1952年、ジョン・D・シャピーロによって、アメリカ合衆国メリーランド州のローレル競馬場(現ローレルパーク競馬場)にサラブレッド3歳以上の12ハロン(約2414メートル)の出走条件で創設された競走である。当時のアメリカ合衆国における唯一の国際招待競走であり、単に「インターナショナル」といえばこの競走を意味していた[† 1]。最盛期にはアメリカ国内はもとよりヨーロッパ日本冷戦中のソビエト連邦からも強豪が集まった[3]

世界から出走馬を招待する為、第1回の開催時にはスターティングゲートの使用が一般化していたアメリカの競馬場でありながら、この競走のみゲートを使用せずにスターターの振り下ろす旗によって発走していた。その後、バリヤー式発馬機よる発走を挟み、最終的にスターティングゲートでの発走が行われるようになった。[要出典]

創設された年にイギリス馬ウィルウィン英語版が勝利したこともあり、1954年にはエリザベス2世アリ・ハーン英語版ウィンストン・チャーチルギー・ド・ロートシルト男爵、ポール・メロンといった有名な馬主から競走馬が送り込まれるようになった[4]

1980年代にはニューヨーク州アケダクト競馬場ベルモントパーク競馬場で行われるターフクラシック(当時)[† 2]カナダオンタリオ州ウッドバイン競馬場で行われるロスマンズインターナショナルステークス(当時)と本競走の全てで優勝した競走馬には100万ドルのボーナスが支払われた。1983年オールアロングが全競走を制覇し、ボーナスを獲得している[3]

ヨーロッパとアメリカにおける秋の重要な競走となったが、1981年に後発の国際競走となるジャパンカップアーリントンミリオン1984年の同時期に競馬の祭典ブリーダーズカップが創設されたことで相対的に衰微した[3]。同年12月にローレル競馬場を買い取ったフランク・J・ドゥフランシスは、観客動員や売上が落ちる中、1987年から本競走がメインとなる「インターナショナルターフフェスティバル」を創設する[† 3]。翌1988年にはバドワイザーをスポンサーとし、競走名をバドワイザーインターナショナルに改称した[† 4][6]

1993年にはブリーダーズカップの前哨戦となるよう2週間前に行なうこととし、本競走はワシントンDCインターナショナルマイルとなり、その名のとおり施行距離もマイルに変わった[† 5]1994年には、競走名を創設時に、施行距離を10ハロンに戻される[8]。このころにはメリーランドの競馬関係者に時代遅れの遺物と見なされており[† 6]、翌年には中止が決定された[4]

2005年コロニアルダウンズ競馬場で行われていたコロニアルターフカップが2014年のコロニアルダウンズ競馬場閉鎖に伴い、2015年からローレルパーク競馬場でコモンウェルスターフカップとして引き継がれ、2017年から本競走にちなんだボルチモアワシントンインターナショナルターフカップと名称を変更し、後継競走に位置づけけられることとなった[3]

歴史

  • 1952年 出走条件3歳以上の芝12ハロン(約2400メートル)で施行される国際招待競走として創設。
  • 1958年 1位入線のテューダーエラが2着に降着セーラーズガイド英語版が繰り上がり優勝。
  • 1959年-1960年 ボールドイーグルが連覇。
  • 1961年-1963年 ケルソが3年連続で2着に入る。
  • 1964年 ケルソが当時のアメリカ芝12ハロンレコードで優勝。
  • 1973年 グレード制開始に伴い、G1競走となる。
  • 1986年 施行距離を芝10ハロン(約2012メートル)に短縮。
  • 1988年 バドワイザー社がスポンサーになり、バドワイザーインターナショナルに改名[6]
  • 1993年 施行距離が芝8ハロン(約1608メートル)に短縮し、ワシントンDCインターナショナルマイルの名で実施[7]
  • 1994年 施行距離が芝10ハロンに戻され、ワシントンDCインターナショナルの名で実施[8]
  • 1995年 競走の中止が決定される。

歴代優勝馬

さらに見る 回数, 施行日 ...
回数施行日調教国・優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師
第1回1952年イギリスの旗Wilwyn牡42:30 4/5M.Mercer英語版J.Waugh
第2回1953年フランスの旗Worden牡42:36 0/5C.Smirke英語版G.Bridgland英語版
第3回1954年アメリカ合衆国の旗Fisherman牡32:47 4/5E.ArcaroS.Veitch英語版
第4回1955年ベネズエラの旗El Chama牡42:36 1/5R.BustamenteJ.Labelle
第5回1956年フランスの旗Master Boing牡32:39 0/5G.ChancelierG.Pelet
第6回1957年アメリカ合衆国の旗Mahan牡62:34 3/5S.Boulmetis英語版H.Trotsek英語版
第7回1958年オーストラリアの旗Sailor's Guide牡62:33 1/5H.Grant英語版J.B.Bond
第8回1959年11月11日アメリカ合衆国の旗Bald Eagle牡42:28 0/5M.Ycaza英語版W.Stephens英語版
第9回1960年11月11日アメリカ合衆国の旗Bald Eagle牡52:33 0/5M.YcazaW.Stephens
第10回1961年11月11日アメリカ合衆国の旗T.V.Lark牡42:26 1/5J.LongdenP.Parker
第11回1962年11月12日フランスの旗Match牡42:28 1/5Y.Saint-MartinF.Mathet英語版
第12回1963年11月11日アメリカ合衆国の旗Mongo牡42:27 2/5W.Chambers英語版F.A.Bonsal
第13回1964年11月11日アメリカ合衆国の旗Kelso騸72:23 4/5I.ValenzuelaC.Hanford英語版
第14回1965年11月11日フランスの旗Diatome牡32:28 2/5J.DeforgeG.Watson
第15回1966年11月11日フランスの旗Behistoun牡32:28 4/5J.DeforgeJ.Lieux
第16回1967年11月11日アメリカ合衆国の旗Fort Marcy騸32:27 0/5M.YcazaE.Burch
第17回1968年11月11日アイルランドの旗Sir Ivor牡32:28 4/5L.PiggottV.O'Brien
第18回1969年11月11日イギリスの旗Karabas牡42:27 0/5L.PiggottB.van Cutsem英語版
第19回1970年11月11日アメリカ合衆国の旗Fort Marcy騸62:42 4/5J.VelasquezE.Burch
第20回1971年10月25日アメリカ合衆国の旗Run the Gantlet牡32:50 3/5R.WoodhouseE.Burch
第21回1972年11月11日アメリカ合衆国の旗Droll Role牡42:38 4/5B.BaezaT.Kelly英語版
第22回1973年11月10日フランスの旗Dahlia牝32:31 4/5B.PyersM.Zilber英語版
第23回1974年11月9日フランスの旗Admetus騸42:29 3/5M.Philipperon英語版J.Cunnington Jr.
第24回1975年11月8日フランスの旗Nobiliary牝32:31 1/5S.HawleyM.Zilber
第25回1976年11月6日フランスの旗Youth牡32:46 1/5S.HawleyM.Zilber
第26回1977年11月5日アメリカ合衆国の旗Johnny D.騸32:42 1/5S.CauthenM.Kay
第27回1978年11月4日アメリカ合衆国の旗Mac Diarmida牡32:27 0/5J.CruguetS.Schulhofer英語版
第28回1979年11月10日アメリカ合衆国の旗Bowl Game騸52:51 0/5J.VelasquezJ.Gaver Jr.英語版
第29回1980年11月8日フランスの旗Argument牡32:30 1/5L.PiggottM.Zilber
第30回1981年11月7日アメリカ合衆国の旗Providential牡42:31 1/5A.Lequeux英語版C.Whittingham
第31回1982年11月6日フランスの旗April Run英語版牝42:31 0/5C.AsmussenF.Boutin英語版
第32回1983年11月12日フランスの旗All Along牝42:35 0/5W.SwinburnP.Biancone英語版
第33回1984年10月20日フランスの旗Seattle Song牡32:27 1/5C.AsmussenF.Boutin
第34回1985年11月16日アメリカ合衆国の旗Vanlandingham牡42:35 3/5D.MacBeth英語版S.McGaughey
第35回1986年11月15日アメリカ合衆国の旗Lieutenant's Lark牡42:09 0/5R.Davis英語版H.Tesher英語版
第36回1987年10月31日フランスの旗Le Glorieux牡32:02 4/5L.Pincay Jr.R.Collet英語版
第37回1988年10月23日アメリカ合衆国の旗Sunshine Forever牡32:03 0/5A.Cordero Jr.J.Veitch
第38回1989年10月22日アメリカ合衆国の旗Caltech牡32:07 3/5R.Douglas英語版E.Aspurua Jr.
第39回1990年10月21日アメリカ合衆国の旗Fly Till Dawn牡42:01 1/5L.Pincay Jr.D.Vienna
第40回1991年10月19日フランスの旗Leariva牝42:06 4/5E.PradoD.Smaga
第41回1992年10月17日イギリスの旗Zoman牡52:01 2/5A.MunroP.Cole英語版
第42回1993年10月23日アメリカ合衆国の旗Buckhar牡51:38 0/5J.CruguetW.Freeman英語版
第43回1994年10月15日アメリカ合衆国の旗Paradise Creek牡51:59.63P.DayB.Mott英語版
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日本調教馬の成績

脚注

参考文献

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