ルース・ベッカー

ウィキペディアから

ルース・ベッカー

ルース・エリザベス・ベッカー英語: Ruth Elizabeth Becker1899年10月28日 - 1990年7月6日)は、タイタニック号の二等船客。同船の沈没事故における生存者の一人である[1]

概要 ルース・ベッカー・ブランチャード, 生誕 ...
ルース・ベッカー・ブランチャード
Thumb
ルース・ベッカー(1912年)
生誕 ルース・エリザベス・ベッカー
(1899-10-28) 1899年10月28日
イギリス領インド帝国の旗 イギリス領インド帝国
マドラス管区グントゥール
死没 1990年7月6日(1990-07-06)(90歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンタバーバラ
配偶者 ダニエル・ブランチャード
アレン・オリヴァー・ベッカー
ネリー・E・バウムガードナー・ベッカー
テンプレートを表示
閉じる

経歴

要約
視点

前半生

ルース・ベッカーは、1899年10月28日イギリス領インド帝国グントゥールで生まれた。父のアレン・オリヴァー・ベッカーはアメリカ人ルター派宣教師である。アレンと妻のネリー・E・バウムガードナー・ベッカーの間には、1905年3月にルースの弟となるルターが生まれたが、彼は1907年2月7日に夭折した。同年12月、ネリーは2人目の娘であるマリソンを、1910年6月にはコダイカナル英語版で2人目の息子であるリチャードを儲けている[2][3][4]

1912年初頭、リチャードが病気を患ったため、ネリーはミシガン州ベントン・ハーバー英語版で治療を受けさせることにした。ルースはリチャードとともに渡米のための準備を始めた。

タイタニック号

Thumb
ルースが乗船した13号ボート(下)。危うく15号ボート(上)の下敷きになるところだった。

ルースの2歳になる弟・リチャードが病気に罹ったため、ネリーは治療のためにリチャード、ルース、マリソンを伴ってアメリカへ渡る決断をし、サウサンプトンからニューヨークを結ぶタイタニック号に乗船することとなった。彼女たちはまずエラーマン・ライン社の蒸気船「シティー・オブ・ベナレス」でマドラスを出発し、イギリスを目指した。途中スエズ運河ポートサイド地中海ジブラルタル海峡を経由してイギリス・ロンドンに到着した。ルースは母親のネリー、弟のリチャード、妹のマリソンとともに、1912年4月10日、サウサンプトンから二等船客としてタイタニック号に乗船した。父親のアレンはインドに留まっている。

4月14日の午後11時40分、北大西洋上を航行中のタイタニック号は氷山と接触した。衝突直後、客室係が母親に対し「ちょっとした事故が起こりました。間もなく修復にとりかかるところでございます。」と言っていたことを、ルースは後に振り返っている[5]。事態の深刻さに気が付いたネリーは子供たちを連れて甲板に上がった。その後、ネリーはルースに対し、客室に戻ってブランケットを数枚持ってくるよう頼んでいる。

ネリーたちは甲板の右舷側に向かった。右舷では六等航海士のジェームズ・ポール・ムーディによってリチャードとマリソンが11号ボートに乗せられたが、ネリーの乗船は認められなかった。客室係の申し立てもあり、最終的にムーディはネリーの乗船を許可したが、今度はルースの乗船が許されなかった。ネリーは彼女に対し、他のボートに乗り込むよう叫んでいる。元々救命ボートの数が少なかったことに加え、彼女たちが11号ボートに乗るころには既に半数近くが出払っていたため、このボートには乗客が殺到していた。結果として11号ボートは積載人数を超えた過負荷状態で出発した数少ない救命ボートとなった[6]。ルースはその後、ムーディによって13号ボートへ押し込まれている。

11号ボートのネリー、リチャード、マリソンと、13号ボートのルースは全員カルパチア号によって救助された。救命ボートがバラバラだったため、ルースは母親と弟妹を探し出すのに非常に苦労している。4月18日、ニューヨークに到着した彼女たちはすぐさま列車でベントン・ハーバーに向かった。インドで宣教活動をしていたアレンが彼女たちと会えたのは1913年になってからのことである。

その後

沈没事故から長年、ルースはタイタニック号での経験を語りたがらなかった。そのため、彼女の子供たちは若い頃、自分たちの母親であるルースがタイタニック号に乗船していたことを知らなかった。彼女があの時の経験を語るようになったのは、隠居してサンタバーバラに移ってからである[2]

タイタニック号の沈没から70年に当たる1982年、ルースはフィラデルフィアタイタニック歴史協会英語版総会に参加した。1987年1988年にも、彼女はさらに2つの総会に加わっている。1990年3月にはメキシコへのクルーズを行ったが、これは彼女にとってタイタニック号以来約80年振りの航海だった[2]

死去

1990年7月6日、90歳という高齢の身体に胃潰瘍が障り、ルースはサンタバーバラで死亡した。彼女の遺体は火葬され、その遺灰は1994年4月16日に、タイタニック号が沈没した北大西洋上の正確な地点で撒かれた[2][7]。三等船客だったフランク・ジョン・ウィリアム・ゴールドスミス英語版や、四等航海士のジョセフ・ボックスホールたちの遺灰も、同じ地点に撒かれている[2][8]

脚注

外部リンク

Wikiwand in your browser!

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.

Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.