Loading AI tools
ウィキペディアから
ムスタファ・アクンジュ(Mustafa Akıncı, 1947年12月28日 - )は北キプロス・トルコ共和国の政治家。28歳の時にレフコシャ(ニコシア)のトルコ人側の市長に選出されて以来、共和国議会(北キプロスの国会)議員、副首相兼観光大臣、大統領(第4代:2015-2020)等を歴任[1]。
既婚。3人の娘と2人の孫がいる[2]。
リマソール(イギリス領キプロス、現在のキプロス共和国)生まれ[3]。中東工科大学を卒業後、レフコシャに移り住む[2]。
1975年、キプロス・トルコ共和国建国国会議員に選出[2]。1976年にレフコシャの市長に選出され、1990年まで務める[2][3]。市長時代には、ギリシャ側のニコシアの市長と積極的な協力関係を築き、ニコシア下水道プロジェクトやニコシアマスタープランを共同で推進[2][3]。ニコシアマスタープランは1989年にWorld Habitat Awards、2007年にアーガー・ハーン建築賞を受賞している[2]。
1993年から2009年まで、北キプロスの共和国議会議員を務める[2][3]。1999年から2001年まで副首相兼観光大臣[1][3]。
2015年北キプロス大統領選挙に無所属で出馬[4]。アクンジュは現職(当時)のデルヴィシュ・エロールが南北キプロスの再統合に消極的だったのに対し、再統合に積極的で[5]、ファマグスタのヴェロシャ地区について「ヴェロシャを活気ある町にしよう。お互いのコミュニティが一緒にビジネスをする事で、若者が仕事を見つける事が出来る」と述べている[4](ファマグスタは南北分断までキプロス島有数のリゾート地であったが、1974年にトルコ軍が占領して以来、北キプロスの支配下にあり、元いたギリシャ人が南に逃れ、ホテルの大半が廃墟と化していた[6])。
2015年4月19日の第1回投票でアクンジュは26.9%の得票を獲得(エロールは28.2%)[7]、4月26日の決選投票では60.5%の得票を得て、エロールを破り、当選[2][8]。
大統領就任後の2015年5月15日、南北キプロスの和平交渉を再開[6]。23日には2回目の交渉を行い、南側のニコス・アナスタシアディス大統領と共に、分断された南北ニコシアの市街地を散策した[6]。
一方、トルコに対しては大統領選の時から対等な関係を求めており、「母と娘ではなく、兄弟の関係を望む」と発言。それに対し、トルコの大統領のレジェップ・タイイップ・エルドアンはキプロス紛争でトルコ軍が介入した事などを念頭に、「トルコは殉死者を出し、これからも犠牲を払い続ける」「トルコにとって北キプロスは子供だ。私たちは今後もそのようにみなす」と宣言し、不快感を示している[9]。
2020年10月11日執行の大統領選挙では得票率32.4%を獲得したエルシン・タタール首相に続いて29.8%で2位となり決選投票に進んだ[10]。10月18日の決選投票で落選し同月23日に退任[11]。
Belediye Başkanlığı'nda 14 yıl(市長としての14年間)、2010年発行、479ページ。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.