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ポール・ラドミロー (Paul Emile Ladmirault, 1877年12月8日 - 1944年10月30日) は、フランスの作曲家、批評家である[1]。ブルターニュ地方およびケルトの伝統音楽を用いた作品を遺した[2]。
1877年12月8日、ナントに生まれる[1]。幼少期から才能を示し、7歳でピアノ、ヴァイオリン、オルガン、和声を習い始めた[2][3]。さらに8歳から作曲を始め[1]、11歳の時には作曲家のルイ=アルベール・ブルゴー=デュクドレーから作品を高く評価された[4]。
1893年5月18日には、初めてのオペラ作品『ジル・ド・レ』がナントで初演された[1][2]。なお、この公演で主人公を務めたのは、のちに小説家となるアルチュール・ベルネードである[2]。また、このオペラの台本は、ラドミローの母が作成した[1]。
1892年にナント音楽院に入学したのち、1893年に和声で一等賞を獲得して卒業した[3][5]。その後、1895年から1904年にかけてパリ音楽院で学び、和声をアントワーヌ・タルドゥー、作曲をガブリエル・フォーレ、対位法をアンドレ・ジェダルジュに師事した[1][4][註 1]。パリではモーリス・ラヴェル、モーリス・ドラージュ、デオダ・ド・セヴラック、フローラン・シュミット、エドゥアール・ベネディクトゥスらとともに、芸術サークルアパッシュの一員として活動した[6]。
3度ローマ大賞に応募するも落選し、ナントに戻った[1][2][7]。ナントでは、『音楽通信』の特派員や『ルエスト・アルティスト』の批評家を務めたほか、国際音楽学会の学会誌に寄稿することもあった[1][2]。さらには、ブルトン人作曲家連盟の創設に携わった[8]。また、1920年にはナントの音楽院で和声、対位法、フーガの教授となり、のちに院長を務めた[1][2][4]。
1944年10月30日、サン=ナゼールのケルビリ・アン・カメルにて死去[1]。なお、モルビアン県のケルビリ・アン・カメルにて死去したとする資料もある[2]。
ラドミローは寡黙な性格であったという[9]。
ラドミローの作品の多くにブルターニュ地方およびケルトの伝統音楽が用いられている[2]。『ニューグローヴ世界音楽大事典』は「ラドミローの最もよく知られている面は、地域的特質を備えた作曲家としてである。セヴラックの音楽がラングドック地方を反映しているように、故郷ブルターニュの雰囲気をあらわにする」と紹介している[1]。その一方で、ポスト印象主義の作曲家のひとりと称されることもあり[10]、トーマス・マクレーンは「カミーユ・サン=サーンスの形式主義と、ガブリエル・フォーレの抒情性、クロード・ドビュッシーの想像力を一つにしたら、ラドミローの作品になる」と述べている[11]。実際、ラドミロー本人も、自分の音楽がフォーレとモーリス・ラヴェルの影響下にあると自覚していたとも言われている[4]。
また、ラドミローの作品は簡素であると指摘される[2][12]。例えばアンドレ・リシュクとステファヌ・ヴォルフは『ラルース世界音楽人名事典』にて、「彼の明晰で簡潔な音楽語法においては旋法様式が用いられている」と述べている[2]。また、ノーマン・デムスも、フランスの作曲家によるピアノ作品を論じた著作において、ラドミローのピアノ作品について「フローラン・シュミットのような複雑さは見られない」と指摘している[12]。なお、デムスはラドミローやガブリエル・グロヴレーズをはじめとするフォーレ門下の作曲家は、サロン用の "work" ではなく、コンサートホールで演奏されるための "piece" を作曲したとも指摘している[13]。
ラドミローが新しい作品に着手したことがニュースとして報じられることもあった[14]。例えば、1931年7月5日の『ニューヨーク・タイムズ』は「ラドミローが交響詩を完成させた」と報じているほか[15]、1935年1月号の『ザ・ミュージカル・タイムズ』は「ラドミローがピアノ五重奏曲を作曲し始めた」と報じている[14]。
ラドミローは国民音楽協会の委員であったため、多くの作品は同協会の援助により初演されたが、そのほとんどは出版されなかった[1]。また、ラドミローの作品の録音もほとんど残されていない[16]。
ラドミローの生徒にピーター・ウォーロックがいる[18]。ウォーロックはラドミローの音楽に心酔しており、自身の作品『カプリオール組曲』を彼に捧げた[19]。ラドミローもウォーロックを「同時代における最高のイギリス人作曲家の1人」と評しており[20]、ウォーロックの批評家としての腕前も認めている[21]。
ラドミローは作曲家たちから高く評価された[22][1]。例えば師のガブリエル・フォーレは、ラドミローに宛てた手紙で「あなたは私の生徒の中で最も興味深い存在です。とにかく沢山の作品を作ってください。そうすれば私はとても嬉しい気持ちになるでしょう」と記している[22]。また、クロード・ドビュッシーはラドミローの『森の魂の合唱』という作品について「洗練された詩的色彩感覚に富む作品」と評し[1]、ハワード・ファーガソンはラドミローによる4手のピアノ作品を称賛した[23]。他にも弟子のピーター・ウォーロックがラドミローの音楽を称賛している[19]。
ラドミローは、批評家からも高く評価された[24][25]。例えばロベルト・ベルナルドは『ルヴュ・ミュージカル』紙にて「ラドミローは趣味の良さ、俊敏性、多様なオリジナリティを備えている」と評している[24]。また、バレエ『コリドウェンの女司祭』が発表された際、エミール・ブュイエルモーズは『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙にて、台本を酷評しつつもラドミローの音楽については高く評価し、ラドミローの詩的な才能と独創性を称賛した[25]。一方、アンリ・プリュニエールは『ニューヨーク・タイムズ』で本作について「オーケストレーションは分厚く、多様性に欠けている」と批判した[26]。
作曲家や批評家からは高く評価されたものの[22][24]、ラドミローの知名度は低い[11][27]。作品もほとんど出版されておらず[1]、録音もほとんどない[16]。
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