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フランク・ブリッジ(Frank Bridge, 1879年2月26日 - 1941年1月10日)は、イギリスの作曲家、弦楽奏者、指揮者。ホルストやヴォーン・ウィリアムズらによる民謡に依拠した作風が20世紀初頭のイギリス楽壇の主流となる中にあって、同時代のヨーロッパ大陸のさまざまな新音楽(フランス印象主義、ロシア象徴主義、ドイツ表現主義)に触発されつつ、独自の前衛音楽を貫いた。このため存命中は、ベンジャミン・ブリテンの恩師としてのみ名を残すも、作曲家としては孤立し、ほとんど顧みられなかった。だが1970年代に「前衛の衰退」が叫ばれる中、ポスト・マーラー世代の忘れられた作曲家の一人として、その進歩性が再評価されるようになる。
ブライトン出身。父親は避暑地に勤める指揮者(またはバンドマスター)であった。ロンドンに上京して王立音楽大学に進み、1899年から1903年までチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードの薫陶を受ける。ヴィオラ奏者としてイギリス弦楽四重奏団に加わったほか、ヨアヒム四重奏団の補助要員も務めた。また指揮者としても活動し、エリザベス・クーリッジ夫人の援助のもとに作曲に没頭できるようになるまでは、ヘンリー・ウッドの代理を務めることもあった。特定の教育機関に属さず、フリーランスの音楽教師としても活躍し、とりわけ高弟ベンジャミン・ブリテンが著名である(青年時代のブリテンに、ウィーン往きとアルバン・ベルクの許での留学を薦めたのがブリッジであったとも言われる)。1941年1月10日にイーストボーンにて他界した。
ブリテンは、恩師の作品を擁護すべく尽力し、「フランク・ブリッジの主題による変奏曲」(1937年)に、ブリッジの「弦楽四重奏のための3つの牧歌」(1906年)から第2曲を用いたり、恩師のその他の作品を上演したりした。とりわけ、ロストロポーヴィチとの共演による、「チェロ・ソナタ ニ短調」(1913年 - 17年)の録音は有名である。
管弦楽曲「海 The Sea 」(1911年)やチェロ協奏曲「祈り Oration 」(1930年)、児童向けオペラ「クリスマス・ローズ The Christmas Rose 」(1929年完成、1932年初演)といった大作があるものの、今日では室内楽の作曲家として高く評価されている。
初期作品では、恩師スタンフォードやブラームス、サン=サーンスらの影響のもとに、後期ロマン派音楽の流れに沿って作風を繰り広げたが、第一次世界大戦に打撃を受けたことを機に次第に調性の浮遊した作品が増え、後期作品では、たとえば新ウィーン楽派に影響された「弦楽四重奏曲 第3番」(1926年)や「同 第4番」(1937年)のように、和声的に見て急進的で、非常に個性的になっている。ヴィオラ奏者として、ドビュッシーやラヴェルの弦楽四重奏曲のイギリス初演にもかかわった経験から、これらの作品(とりわけ和声法)にも影響されている。戦死した親友アーネスト・ファーラーを偲んで作曲された「ピアノソナタ」(1922年 - 25年)や、「小川の枝垂れ柳 There is a willow grows aslant a brook 」(1927年)では、たとえばハ短調の主和音とニ長調のそれを組み合わせたような、合成和音の鋭い響きへの好みが認められ(「ブリッジ和音」)、結果的にスクリャービンの後期やロスラヴェッツの初期の作風に似ている。有名な「ピアノ三重奏曲第2番」(無調、1929年)は、同時期のシマノフスキの作品に似て、聴き手を眠りに誘なうような、静かでゆっくりとした、中東風の楽章から始まる。左手のためのピアノ曲集「3つの即興 Three Improvisations」(1919年)は、舘野泉の舞台復帰の契機となった作品として有名になった。
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