デトロイト・ライオンズ

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デトロイト・ライオンズ

デトロイト・ライオンズ英語: Detroit Lions、略称: DET)は、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイトに本拠地をおくNFLチーム。NFC北地区に所属している。ホームスタジアムはフォード・フィールド。本部と練習場は、デトロイトの南西にあるアレンパークに位置している。スーパーボウル誕生時点から存在するチームの中で、出場経験のないNFL唯一のチームである[注 1]

概要 創設, NFL参入 ...
デトロイト・ライオンズ
Detroit Lions
創設 1930年7月12日 (94年前) (1930-07-12)
NFL参入 1930年シーズン
所属地区
  • NFL(1930-現在)
    • NFC(1970-現在)
    北地区(2002-現在)
    中地区(1970-2001)
    • 西カンファレンス(1953-1969)
    中地区(1967-1969)
    地区分けなし(1953-1966)
    • ナショナル・カンファレンス(1950-1952)
    • 西地区(1933-1949)
    • 地区分けなし(1930-1932)
  • 独立チーム(1929)
チームデザイン
チームロゴ

水色のライオンシルエット
チームカラー
  ホノルルブルー
  シルバー
ユニフォーム
チーム名
  • デトロイト・ライオンズ(1934-現在)
    • ポーツマス・スパルタンズ(1930-1933)
ホームタウン
デトロイト・ライオンズの位置(アメリカ合衆国内)
1930-1933
1934-現在

ミシガン州デトロイト(1934-1974, 2002-現在)
ミシガン州ポンティアック(1975-2001)
オハイオ州ポーツマス(1930-1933)

フォード・フィールド(2002-現在)
ポンティアック・シルバードーム
 ポンティアック・メトロポリタン・スタジアム
(1975-2001)
タイガー・スタジアム
 ブリッグス・スタジアム
 ネビン・フィールド
(1938-1939, 1941-1974)
ユニバーシティ・オブ・デトロイト・スタジアム(1934-1940)
ユニバーサル・ユタジアム(1930-1933)

永久欠番
  • 7
  • 20
  • 20
  • 20
  • 22
  • 37
  • 56
  • 85
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (0回)
カンファレンス・チャンピオン (0回)
NFC
地区優勝 (5回)
NFC中地区
NFC北地区
ワイルドカード(8回)
プレーオフ進出(14/59回)
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
カンファレンス・チャンピオン
NFLナショナル
NFL西
地区優勝
NFL西地区
ワイルドカード
球団組織
オーナーシーラ・フォード・ハンプ
GMブラッド・ホルムズ
ヘッドコーチダン・キャンベル
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概要

デトロイトへ移転した1934年に、MLBデトロイト・タイガースに呼応して、と同じネコ科猛獣であるライオンをチーム愛称としたとされている。また、1934年から第二次世界大戦による中断をはさみサンクスギビングデーに長年ゲームを行っている。

歴史

要約
視点

草創期

1929年、オハイオ州ポーツマスを本拠地にポーツマス・スパルタンズ(Portsmouth Spartans)として創設。1年間の独立チームとしての経験を経て1930年にNFL入りを果たした。1932年にはディフェンディングチャンピオンのグリーンベイ・パッカーズに19-0で勝利した。このゲームを通してライオンズは11人の選手しか起用しなかった。シーズンを6勝1敗4分で終えたチームは6勝1敗6分のシカゴ・ベアーズとその年のプレーオフで対戦することとなった。試合が行われたシカゴブリザードが吹き荒れて試合会場はリグレー・フィールドから屋内競技場であり両エンドゾーン間が80ヤードしかないシカゴ・スタジアムに変更された。この試合は0-9でスパルタンズが敗れた。1934年、スパルタンズはデトロイトのラジオ局のオーナーであるジョージ・リチャーズに売却され本拠地もデトロイトに移転した。リチャーズは新チーム名をデトロイト・ライオンズと名づけた。リチャーズは感謝祭当日に試合を行うことを決定し、これは第二次世界大戦中の数シーズンを除き現在もライオンズで引き継がれている。1935年にはQBダッチ・クラークのもと、チームは初のNFLチャンピオンとなった。

黄金期

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1950年代に先発QBだったボビー・レーン

1950年代にはQBボビー・レーンを擁してチームは黄金期を迎えた。チームは1952年1953年1957年と3度ともクリーブランド・ブラウンズを破りNFLチャンピオンとなった[1]。またブラウンズに敗れたが1954年にもNFLチャンピオンシップゲームへの出場を果たした。

1957年のプレーオフ、サンフランシスコ・フォーティナイナーズとの試合では第3Qに7-27とリードされたところからQBのトビン・ロートはチームを引っ張り24点をあげて31-27と大逆転を果たした[2]。ライオンズはその後NFLチャンピオンシップゲームでクリーブランド・ブラウンズに59-14と圧勝した。この試合後、1991年シーズンのダラス・カウボーイズとのプレーオフまでライオンズはポストシーズンの勝利から見放されることとなった。

低迷期

1958年10月6日、チームは前年のチャンピオンシップゲームで負傷していたボビー・レーンをピッツバーグ・スティーラーズにトレードした。レーンはこれでライオンズがこの先50年優勝することはないだろうと言い残してチームを去った。これはボビー・レーンの呪いと言われた。その後50年間でライオンズがプレーオフに出場したのは9回、地区優勝は3回だけであり、プレーオフで勝ったのは1958年だけであった[1]

チームはその後長期低迷し1960年代にプレーオフ出場0回、1970年代もプレーオフ出場はわずか1回であった。

1963年に実業家のウィリアム・クレイ・フォードによってチームは買収された。彼のチーム買収以降の50シーズンでプレーオフではわずか1勝しかあげることができていない。

1963年、アレックス・カラスが1年間の出場停止処分を受けた[3]

1967年のドラフト1巡全体7位で獲得したRBメル・ファー英語版は、その年の新人王に選ばれた[4]

1970年、デュエットパートナーのタミー・テレルを亡くしたソウルシンガーのマーヴィン・ゲイがライオンズ入りを目指してトライアウトに参加した。彼はすぐにカットされたがメル・ファー、レム・バーニー英語版ら多くの選手と友人となったゲイはバックコーラスに選手たちを起用して「ホワッツ・ゴーイン・オン」を1971年リリースした。

1970年のプレーオフ、ダラス・カウボーイズ戦はディフェンス勝負の末、0-5で敗れた。1971年から1978年までは地区2位か3位の平凡な成績が続き、1979年には2勝14敗に終わった。この間、1974年11月18日のサンクスギビングデーの試合を最後にチームはタイガー・スタジアムを離れてポンティアック・シルバードームに移った。

1970年代、当時現在とは異なり、タイトエンドにレシーブ能力が求められていない時代、チームに所属したチャーリー・サンダースはブロックだけでなく、パスターゲットとしても活躍した。2007年に彼はプロフットボール殿堂入りを果たした。彼はヘアスタイルとフー・マンチューのようなヒゲでも人気者であった[5]

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ドラフト全体1位で加入したビリー・シムズ(1980年)

1980年、ドラフト全体1位でハイズマン賞受賞者のRBビリー・シムズを獲得した[6]

エースQBのゲイリー・ダニエルソンが負傷、第2QBのジェフ・コムロも結果を出せなかったことから、エリック・ヒップルが先発QBとなった[7]

1981年10月19日のシカゴ・ベアーズとのマンデーナイトフットボールで、ヒップルはレナード・トンプソンへ94ヤードのTDパスを成功させた[8]

1982年1983年には連続してプレーオフ出場を果たした。しかし1984年にシムズがひざを負傷してわずか5シーズンで引退を余儀なくされると[6]、チーム成績は下降し、負け越しシーズンが続いた。

1989年のドラフト全体3位でRBバリー・サンダースを獲得した[9]。サンダースは、シーズンリーディングラッシャーにあと10ヤードの活躍を見せた。この年、ノーズタックルのジェリー・ボールは73タックル、9サックをあげてプロボウルに選ばれた[10]

1990年、ドラフト全体7位でハイズマン賞受賞者のQBアンドレ・ウェアを獲得した。

プレーオフ常連

1991年11月17日のロサンゼルス・ラムズ戦でオフェンスラインのマイク・アトリーが試合中負傷し[11]、半身不随となったが[12]、これによりチームの団結力が高まり、1983年以来のNFC中地区優勝を果たした。プレーオフでダラス・カウボーイズに快勝したがNFCチャンピオンシップゲームでシーズン開幕戦敵地で0-45と完封負けを喫した相手、ワシントン・レッドスキンズに10-41で敗れ、初のスーパーボウル出場を逃している。。1994年、前マイアミ・ドルフィンズのQBスコット・ミッチェル英語版と契約した。1990年代にはRBバリー・サンダースの活躍で6度のプレーオフ進出を果たした。

低迷期再び

1998年シーズン終了後、契約を4年間残して、バリー・サンダースが引退した。引退後数年してからサンダースは負け癖に嫌気が差したことを理由としてあげた[9]

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"FIRE MILLEN!!!(ミレンをクビにしろ!)"(2005年)
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ミレンを解雇するな!(ライバルのグリーンベイ・パッカーズのファン)

しかし、2001年マット・ミレンMatt Millen)がCEO(事実上のGM)に就任してから成績は下降し始めた。2001年から2003年にかけてロードゲーム24連敗を記録。ドラフト上位指名権を得るものの2002年全体3位に指名したQBジョーイ・ハリントンなど[13]、失敗を繰り返し、ファンから「Fire Millen」をスローガンに解任運動が起こるほどだった。2008年シーズン、開幕から3連敗を喫し、ミレンは解任された。在任中の通算成績は31勝84敗だった。

2008年はその後も連敗を続け、史上初のシーズン16戦全敗を記録した。シーズン14試合制だった1976年に新規参入チームのタンパベイ・バッカニアーズが全敗を記録しているが、16試合制になってからの全敗はライオンズが初めてだった。シーズン終了後、ロッド・マリネリは解任されテネシー・タイタンズのディフェンスコーディネーター、ジム・シュウォルツが新ヘッドコーチ、スコット・リネハンがオフェンスコーディネーター、ガンサー・カニンガムがディフェンスコーディネーターとなった。

2005年ドラフト5巡目でQBダン・オーロフスキーを、2007年ドラフト2巡目でQBドリュー・スタントンを指名した。

2009年のドラフト全体1位指名権を得たチームはQBのマシュー・スタッフォードを指名6年7800万ドル(当時NFL史上最高の4170万ドルの保障つき)の契約を結んだ。当初はベテランQBダンテ・カルペッパーの控えとして経験を積ませるのではという見方が有力であったが開幕直前にスタッフォードがエースQBに指名された[14]。開幕からニューオーリンズ・セインツミネソタ・バイキングスに連敗したが、9月27日、ワシントン・レッドスキンズを19-14で破りチームの連敗を19で止めた。その後シーズン未勝利のセントルイス・ラムズに敗れるなど、連敗を続け、第11週のクリーブランド・ブラウンズ戦で試合終了と同時に逆転TDが決まり38-37で2勝目をあげた[15]のみで2勝14敗でシーズンを終えた。

2010年には全体ドラフト2位でDTエンダムカン・スーを獲得した[16]。開幕戦のシカゴ・ベアーズ戦でカルビン・ジョンソンがタッチダウンしたかに見えたプレーが判定によりボールを確保していないと判断されパス不成功に終わり、14-19で敗れた[17]。この試合でスタッフォードがジュリアス・ペッパーズにサックされた際、右肩を負傷[18]、第2週からショーン・ヒルが先発QBを務めた。スタッフォードは第7週まで欠場した[19]グリーンベイでの試合では1991年以来となる勝利が転がりかけたが終了間際にタッチダウンを奪われて負けた。しかし第14週の地元でのパッカーズ戦では2005年以来となる勝利をあげた。この年スタッフォードは故障がちでわずか3試合の出場にとどまり[20]ドリュー・スタントンショーン・ヒルの出場機会が多くなった。チームは6勝10敗でシーズンを終えた。この年スーは最優秀新人守備選手に選ばれた[21]

2011年、第2週のカンザスシティ・チーフス戦ではチーム記録の48得点(それまでの記録は1995年の45点)をあげるなど、開幕からスタッフォードとジョンソンとのホットラインなどの活躍で、1956年以来となる5連勝を果たした[22]。その後は、RBジャービッド・ベスト脳震盪によりシーズン絶望[23]、スーが相手選手をふみつけて2試合出場停止になるなどし、7試合中5試合で敗れたが[24]、第16週のサンディエゴ・チャージャーズ戦に勝利し1999年以来となるプレーオフ出場を果たした[25][26]

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2007年から2015年まで在籍したWRのカルビン・ジョンソン

2012年、シーズン開幕前、カルビン・ジョンソンマッデンNFLのカバーアスリートに選ばれた[27]。この年、ミネソタ・バイキングスが1981年に作った709回を更新する740回(1試合あたり46.25回)のパスプレーを選択した。12月22日のアトランタ・ファルコンズ戦で、ジョンソンはジェリー・ライスのシーズンレシーブヤード記録を更新、最終週のシカゴ・ベアーズ戦では72ヤードのレシーブで終え、1,964ヤードと2,000ヤードレシーブにあと36ヤードでシーズンを終えた。チームはシーズン最後に8連敗し、4勝12敗でシーズンを終えた[28]

2013年、バリー・サンダースがマッデンNFLのカバーアスリートに選ばれた。レジー・ブッシュが自身のキャリア最高の成績を残し、ラン1000ヤード、レシーブ500ヤードを記録した。この年シーズン最後の7試合で6敗し、7勝9敗でプレーオフを逃すと、シーズン終了後、シュウォルツヘッドコーチは解任された[29]。2014年、前オーナーが死去してマーサ・ファイアストン・フォードがオーナーとなった。2014年シーズンからはジム・コールドウェルがHCに就任し、QBスタフォードを擁して2014年2016年とワイルドカードでプレーオフ進出を果たすがいずれも初戦敗退。2017年は地区二位となったがプレーオフを逃してコールドウェルは解任された。後任にはニューイングランド・ペイトリオッツのオフェンシブ・コーディネーターだったマット・パトリシアが就任した。だが2018年は地区最下位となり、二年連続してプレーオフを逃した。2019年も地区最下位となった。

オーナー交代そして強豪への復帰

2020年、前オーナーのマーサ・ファイアストン・フォードが引退し、娘のシーラ・フォード・ハンプが新たなオーナーに就任した。シーズンでは、4勝7敗と低迷した11月28日にGMとHCを解任し、HCはOCのダレル・ベベルが暫定的に就任するもプレーオフを逃し3年連続地区最下位となった。2021年1月14日、ロサンゼルス・ラムズのカレッジスカウティングディレクターだったブラッド・ホルムズをGMとした。2021年1月20日、ニューオーリンズ・セインツのアシスタントHC兼タイトエンドコーチのダン・キャンベルがHCに就任した。2021年1月31日、ドラフト権や複数選手を含むトレードによって、マシュー・スタッフォードをロサンゼルス・ラムズに手放す代わりにQBジャレッド・ゴフを得た[30]。だが2021年シーズンも4年連続で地区最下位となりプレーオフを逃した。2022年シーズンは最終戦までワイルドカードでのプレーオフ進出の可能性を残すも逃した。

2023年シーズンは、1993年以来30年ぶりの地区優勝を果たし、7年ぶりのプレーオフ進出を果たした。初戦では30年ぶりにホームでロサンゼルス・ラムズを倒し、プレーオフ9連敗を断ち切って32年ぶりの勝利をつかんだ。次戦でもタンパベイ・バッカニアーズを破って32年ぶりに2度目のNFCチャンピオンシップゲームに進んだ。サンフランシスコ・フォーティーナイナーズに敗れて初のカンファレンスチャンピオンはならなかった。

2024年シーズンは最終戦でミネソタ・バイキングスに勝って地区首位となり、第1シードでプレーオフに進んだ。だが初戦でワイルドカードのワシントン・コマンダーズに5つのターンオーバーを許して敗れた。シーズン終了後、ディフェンシブ・コーディネーターおよびオフェンシブ・コーディネーターが辞任し、それぞれニューヨーク・ジェッツシカゴ・ベアーズのHCとなった。

感謝祭ゲーム

1934年当時のオーナーのジョージ・A・リチャーズは、NBCブルーネットワークの主要なラジオ関連会社で、且つABCの前身であるデトロイトのWJRのオーナーでもあり、感謝祭当日の試合をライブ配信することをNBCと合意した。 それ以来ライオンズは、毎年感謝祭当日にホームで試合を組んでいる(1941年から1944年は第二次世界大戦のため、開催せず)。1966年以降はダラス・カウボーイズも感謝祭当日の試合を行っているが、両チームによる対戦が感謝祭当日には行われたことはない[注 2]。2006年以降はライオンズ戦、カウボーイズ戦以外にもう1試合組まれ、合計3試合がおこなれている[注 3]

2024年シーズン現在の通算成績は、38勝45敗2分で勝率は.459である。

文化

マスコット

公式マスコットは、ライオンのローリー・ザ・ライオン(Roary the Lion)である。

チアリーダー

公式チアリーディングのデトロイト・ライオンズ・チアリーダーズ(Detroit Lions Cheerleaders)が活動している。かつて1963年にチアリーディングチームが誕生したものの、1974年に解散した。以降、オーナーのウィリアム・クレイ・フォードによる反対意見もあり、長らくチームには公式チアリーダーがいなかった。2010年8月、チームの非公式チアリーダーとしてデトロイト・プライド(Detroit Pride)が結成され、活動を開始した。その後、2016年6月12日に、公式チアリーダー「デトロイト・ライオンズ・チアリーダーズ」としてライオンズの組織に加わることになった。ライオンズとしては42年ぶりの公式チアリーダーになった。

2024年シーズン成績

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NFC北地区 2024
チーム勝率DivCon総得点総失点平均得点平均失点SOSSOV
(1)デトロイト・ライオンズ 1520.8826-011-156433633.219.8.516.494
(5)ミネソタ・バイキングス 1430.8244-29-343233225.419.5.474.408
(7)グリーンベイ・パッカーズ 1160.6471-56-646033827.119.9.533.412
シカゴ・ベアーズ 5120.2941-53-931037018.221.8.554.388
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NFC 2024

チーム
勝率DIVCONSOSSOV
地区優勝
1 デトロイト・ライオンズ 1520.8826-011-1.516.494
2 フィラデルフィア・イーグルス 1430.8245-19-3.453.424
3[a] タンパベイ・バッカニアーズ 1070.5884-28-4.502.465
4[b][a] ロサンゼルス・ラムズ 西 1070.5884-26-6.505.441
ワイルドカード
5 ミネソタ・バイキングス 1430.8244-29-3.474.408
6 ワシントン・コマンダース 1250.7064-29-3.436.358
7 グリーンベイ・パッカーズ 1160.6471-56-6.533.412
8[b] シアトル・シーホークス 西 1070.5884-26-6.498.424
9[c] アトランタ・ファルコンズ 890.4714-27-5.519.426
10[c] アリゾナ・カージナルス 西 890.4713-34-8.536.404
11 ダラス・カウボーイズ 7100.4123-35-7.522.387
12 サンフランシスコ・49ers 西 6110.3531-54-8.564.402
13[d] シカゴ・ベアーズ 5120.2941-53-9.554.388
14[e][d] カロライナ・パンサーズ 5120.2942-44-8.498.329
15[e] ニューオーリンズ・セインツ 5120.2942-44-8.505.306
16 ニューヨーク・ジャイアンツ 3140.1760-61-11.554.412
タイブレーク
  1. 対NFCでバッカニアーズがラムズを上回る
  2. 勝利相手の勝率でラムズがシーホークスを上回り、地区優勝
  3. 対NFCでファルコンズがカージナルスを上回る
  4. 直接対決でベアーズがパンサーズに勝利
  5. 勝利相手の勝率でパンサーズがセインツを上回る
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    さらに見る ワイルドカード・プレーオフ, ディビジョナル・プレーオフ ...
                                       
    ワイルドカード・プレーオフディビジョナル・プレーオフ
    2025年1月11日
    M&Tバンク・スタジアム
        1月19日
    ハイマーク・スタジアム
        1月26日
    アローヘッド・スタジアム
        2月9日
    シーザーズ・スーパードーム
     6  スティーラーズ  14
     3  レイブンズ  28 
    2025年1月12日
    ハイマーク・スタジアム
     3  レイブンズ  25
       2  ビルズ  27  
     7  ブロンコス  7 AFC
     2  ビルズ  31  1月18日
    アローヘッド・スタジアム
    2025年1月11日
    NRGスタジアム
     2  ビルズ  29
       1  チーフス  32  
    AFCチャンピオンシップ
    1月26日
    リンカーン・フィナンシャル・フィールド
     5  チャージャーズ  12
     4  テキサンズ  14
     4  テキサンズ  32  
     1  チーフス  23  
    2025年1月12日
    レイモンド・ジェームス・スタジアム
    1月18日
    フォード・フィールド
     A1  チーフス  22
       N2  イーグルス  40
    第59回スーパーボウル
     6  コマンダース  23
     6  コマンダース  45
     3  バッカニアーズ  20  
     1  ライオンズ  31  
    2025年1月13日
    ステートファーム・スタジアム
    NFC
    1月19日
    リンカーン・フィナンシャル・フィールド
     6  コマンダース  23
       2  イーグルス  55  
     5  バイキングス  9 NFCチャンピオンシップ
     4  ラムズ  27 
    2025年1月12日
    リンカーン・フィナンシャル・フィールド
     4  ラムズ  22
       2  イーグルス  28  
     7  パッカーズ  10
     2  イーグルス  22 
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    歴代成績

    成績

    NFC北地区(2002年-現在)

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    地区優勝2位3位4位
    チームチームチームチーム
    2024 DET(1d)1520 MIN(5w)1430 GB (7w)1160 CHI5120
    2023 DET(3c)1250 GB (7d)980 MIN7100 CHI7100
    2022 MIN(3w)1340 DET980 GB890 CHI3140
    2021 GB (1d)1340 MIN890 CHI6110 DET3131
    2020 GB (1c)1330 CHI(7w)880 MIN790 DET5110
    2019 GB (2c)1330 MIN(6d)1060 CHI880 DET3121
    2018 CHI(3w)1240 MIN871 GB691 DET6100
    2017 MIN(2c)1330 DET970 GB790 CHI5110
    2016 GB (4c)1060 DET(6w)970 MIN880 CHI3130
    2015 MIN(3w)1150 GB (5d)1060 DET790 CHI6100
    2014 GB (2c)1240 DET(6w)1150 MIN790 CHI5110
    2013 GB (4w)871 CHI880 DET790 MIN5101
    2012 GB (3d)1150 MIN(6w)1060 CHI1060 DET4120
    2011 GB (1d)1510 DET(6w)1060 CHI880 MIN3130
    2010 CHI(2c)1150 GB (6v)1060 DET6100 MIN6100
    2009 MIN(2c)1240 GB (5w)1150 CHI790 DET2140
    2008 MIN(3w)1060 CHI970 GB6100 DET0160
    2007 GB (2c)1330 MIN880 DET790 CHI790
    2006 CHI(1s)1330 GB880 MIN6100 DET3130
    2005 CHI(2d)1150 MIN970 DET5110 GB4120
    2004 GB (3w)1060 MIN(6d)880 DET6100 CHI5110
    2003 GB (4d)1060 MIN970 CHI790 DET5110
    2002 GB (3w)1240 MIN6100 CHI4120 DET3130
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    NFC中地区(1970年-2001年)

    • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
    • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
    • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
    さらに見る 年, 地区優勝 ...
    地区優勝2位3位4位5位
    チームチームチームチームチーム
    2001 CHI(2d)1330 GB(4d)1240 TB(6w)970 MIN5110 DET2140
    2000 MIN(2c)1150 TB(5w)1060 GB970 DET970 CHI5110
    1999 TB(2c)1150 MIN(4d)1060 DET(6w)880 GB880 CHI6100
    1998 MIN(1c)1510 GB(5w)1150 TB880 DET5110 CHI4120
    1997 GB(2s)1330 TB(4d)1060 DET(5w)970 MIN(6d)970 CHI4120
    1996 GB(1v)1330 MIN(6w)970 CHI790 TB6100 DET5110
    1995 GB(3c)1150 DET(5w)1060 CHI970 MIN880 TB790
    1994 MIN(3w)1060 GB(4d)970 DET(5w)970 CHI(6d)970 TB6100
    1993 DET(3w)1060 MIN(5w)970 GB(6d)970 CHI790 TB5110
    1992 MIN(3w)1150 GB970 TB5110 CHI5110 DET5110
    1991 DET(2c)1240 CHI(4w)1150 MIN880 GB4120 TB3130
    1990 CHI(4d)1150 TB6100 DET6100 GB6100 MIN6100
    1989 MIN(3d)1060 GB1060 DET790 CHI6100 TB5110
    1988 CHI(1c)1240 MIN(4d)1150 TB5110 DET4120 GB4120
    1987 CHI(2d)1140 MIN(5c)870 GB591 TB4110 DET4110
    1986 CHI(2d)1420 MIN970 DET5110 GB4120 TB2140
    1985 CHI(1v)1510 GB880 MIN790 DET790 TB2140
    1984 CHI(3c)1060 GB880 TB6100 DET4111 MIN3130
    1983 DET(3d)970 GB880 CHI880 MIN880 TB2140
    1982 GB(3d)531 MIN(4d)540 TB(7w)540 DET(8w)450 CHI360
    1981 TB(3d)970 DET880 GB880 MIN790 CHI6100
    1980 MIN(3d)970 DET970 CHI790 TB5101 GB5101
    1979 TB(2c)1060 CHI(5w)1060 MIN790 GB5110 DET2140
    1978 MIN(3d)871 GB871 DET790 CHI790 TB5110
    1977 MIN(3c)950 CHI(4d)950 DET680 GB4100 TB2120
    1976 MIN(1s)1120 CHI770 DET680 GB590
    1975 MIN(1d)1220 DET770 CHI4100 GB4100
    1974 MIN(s)1040 DET770 GB680 CHI4100
    1973 MIN(s)1220 DET671 GB572 CHI3110
    1972 GB(d)1040 DET851 MIN770 CHI491
    1971 MIN(d)1130 DET761 CHI680 GB482
    1970 MIN(d)1220 DET(d)1040 GB680 CHI680
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    NFL西カンファレンス・中地区(1967年-1969年)

    さらに見る 年, 地区優勝 ...
    地区優勝2位3位4位
    チームチームチームチーム
    1969 MIN(s)1220 DET941 GB860 CHI1130
    1968 MIN(c)860 CHI770 GB671 DET482
    1967 GB(v)941 CHI761 DET572 MIN383
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    NFL西カンファレンス(1953年-1966年)

    さらに見る 年, 優勝 ...
    優勝2位3位4位5位6位7位
    チームチームチームチームチームチームチーム
    1966 GB(V)1220 BAL950 LA860 SF662 CHI572 DET491 MIN491
    スーパーボウル開始
    1965 GB(v)1031 BAL1031 CHI950 SF761 MIN770 DET671 LA4100
    1964 BAL(n)1220 GB851 MIN851 DET752 LA572 CHI590 SF4100
    1963 CHI(v)1112 GB1121 BAL860 DET581 MIN581 LA590 SF2120
    1962 GB(v)1310 DET1130 CHI950 BAL770 SF680 MIN2111 LA1121
    1961 GB(v)1130 DET671 BAL860 CHI860 SF761 LA4100 MIN3110
    1960 GB(n)840 DET750 SF750 BAL660 CHI561 LA471 DAL0111
    1959 BAL(v)930 CHB840 GB750 SF750 DET381 LA2100
    1958 BAL(v)930 CHB840 LA840 SF660 DET471 GB1101
    1957 DET(v)840 SF840 BAL750 LA660 CHB570 GB390
    1956 CHB(n)921 DET930 SF561 BAL570 GB480 LA480
    1955 LA(n)831 CHB840 GB660 BAL561 SF480 DET390
    1954 DET(n)921 CHB840 SF741 LA651 GB480 BAL390
    1953 DET(v)1020 SF930 LA831 CHB381 BAL390 GB291
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    NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)

    さらに見る 年, 優勝 ...
    優勝2位3位4位5位6位7位
    チームチームチームチームチームチームチーム
    1952 DET(v)930 LA930 SF750 GB660 CHB570 DAL1110
    1951 LA(v)840 DET741 SF741 CHB750 GB390 NYY192
    1950 LA(n)93x CHB93x NYY75x DET66x GB39x SF39x BAL111x
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    NFL西地区(1933年-1949年)

    さらに見る 年, 優勝 ...
    優勝2位3位4位5位6位
    チームチームチームチームチームチーム
    1949 LA(n)822 CHB930 CHC651 DET480 GB2100
    1948 CHC(n)1110 CHB1020 LA651 GB390 DET2100
    1947 CHC(v)930 CHB840 GB651 LA660 DET390
    1946 CHB(v)821 LA641 GB650 CHC650 DET1100
    1945 CLE(v)910 DET730 GB640 CHB370 CHC190
    1944 GB(v)820 CHI631 DET631 CLE460 Card-Pitt0100
    1943 CHB(v)811 GB721 DET361 CHC0100
    1942 CHB(n)1100 GB821 CLE560 CHC380 DET0110
    1941 CHB(v)1010 GB1010 DET461 CHC371 CLE290
    1940 CHB(v)830 GB641 DET551 CLE461 CHC272
    1939 GB(v)920 CHB830 DET650 CLE551 CHC1100
    1938 GB(n)830 DET740 CHB650 CLE470 CHC290
    1937 CHB(n)911 GB740 DET740 CHC551 CLE1100
    1936 GB(v)1011 CHB930 DET840 CHC281
    1935 DET(v)732 GB840 CHB642 CHC642
    1934 CHB(n)1300 DET1030 GB760 CHC560 StL120 CIN080
    1933 CHB(v)1021 POR650 GB571 CIN361 CHC191
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    NFL(1921年-1932年)

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    チーム
    チーム
    チーム
    チーム
    チーム
    チーム
    1932 8 1 CHB716 2 GB1031 3 POR624 4 BOS442 5 NY462 7 CHC262
    1931 10 1 GB1220 2 POR1130 3 CHB850 4 CHC540 5 NY761
    1930 11 1 GB1031 2 NY1340 3 CHB941 7 CHC562 8 POR563
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    主な選手

    現役選手

    永久欠番

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    デトロイト・ライオンズ 永久欠番一覧
    背番号 選手 ポジション 在籍期間
    7ダッチ・クラークDutch ClarkQB1934–1938
    20レム・バーニーLem BarneyCB1967–1977
    20ビリー・シムズBilly SimsRB1980–1984
    20バリー・サンダースBarry SandersRB1989–1998
    22ボビー・レーンBobby LayneQB, K1950–1958
    37ドーク・ウォーカーDoak WalkerHB, K, P1950–1955
    56ジョー・シュミットJoe SchmidtLB1953–1965
    85チャック・ヒューズChuck HughesWR1970–1971
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    プロフットボール殿堂入り

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    プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
    選手
    背番号名前ポジション在籍期間選出年
    7ダッチ・クラークDutch ClarkQB1934–19381963
    -ヘッドコーチ1937–1938
    35ビル・ダドリーBill DudleyHB1947–19491966
    22ボビー・レーンBobby LayneQB1950–19581967
    50アレックス・ウォージェホーウィツAlex WojciechowiczCLB1938–19461968
    24ジャック・クリスチャンセンJack ChristiansenDB1951–19581970
    39ヒュー・マケルヘニーHugh McElhennyHB19641970
    30オリー・マットソンOllie MatsonRB19631972
    56ジョー・シュミットJoe SchmidtLB1953–19651973
    -ヘッドコーチ1967–1972
    81ナイト・トレイン・レーンDick "Night Train" LaneCB1960–19651974
    28イェール・ラリーYale LaryDBP1952–1953, 1956–19641979
    72フランク・ガツキーFrank GatskiC19571985
    37ドーク・ウォーカーDoak WalkerHB1950–19551986
    35ジョン・ヘンリー・ジョンソンJohn Henry JohnsonFB1957–19591987
    20レム・バーニーLem BarneyDB1967–19771992
    76ルー・クリークマーLou CreekmurG, T1950–19591996
    20バリー・サンダースBarry SandersRB1989–19982004
    88チャーリー・サンダースCharlie SandersTE1968–19772007
    44ディック・ラボーDick LeBeauDB1959–19722010
    77カーリー・カルプCurley CulpDT1980–19812013
    63ディック・スタンフェルDick StanfelOG1952–19552016
    71アレックス・カラスAlex KarrasDT1958–19702020
    81カルビン・ジョンソンCalvin JohnsonWR2007–20152021
    コーチ・エグゼクティブ
    名前役職在籍期間選出年
    なし
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    プライド・オブ・ザ・ライオンズ

    • 4 ジェイソン・ハンソン
    • 7 ダッチ・クラーク
    • 20 レム・バーニー
    • 20 バリー・サンダース
    • 22 ボビー・レーン
    • 24 ジャック・クリスチャンセン
    • 28 イェール・ラリー
    • 37 ドーク・ウォーカー
    • 44 ディック・ラボー
    • 50 アレックス・ウォージェホーウィツ
    • 56 ジョー・シュミット
    • 63 ディック・スタンフェル
    • 71 アレックス・カラス
    • 76 ルー・クリークマー
    • 76 ロジャー・ブラウン
    • 81 ナイト・トレイン・レーン
    • 84 ハーマン・ムーア
    • 88 チャーリー・サンダース

    75thシーズンオールタイムチーム

    ライオンズオールタイムチーム

    歴代ヘッドコーチ

    • ハル・グリフィン(1930年)
    • ジョージ・クラーク(1931年 - 1936年)
    • ダッチ・クラーク(1937年 - 1938年)
    • ガス・ヘンダーソン(1939年)
    • ジョージ・クラーク(1940年)
    • ビル・エドワーズ(1941年 - 1942年)
    • ジョン・カーシス(1942年)
    • ガス・ドレイス(1943年 - 1947年)
    • ボー・マクミリン(1948年 - 1950年)
    • バディ・パーカー(1951年 - 1956年)
    • ジョージ・ウィルソン(1957年 - 1964年)
    • ハリー・ギルマー(1965年 - 1966年)
    • ジョー・シュミット(1967年 - 1972年)
    • ドン・マカファーティ(1973年)
    • リック・フォーザノ(1974年 - 1976年)
    • トミー・ハドスペス(1976年 - 1977年)
    • モンテ・クラーク(1978年 - 1984年)
    • ダリル・ロジャース(1985年 - 1988年)
    • ウェイン・フォンテス(1988年 - 1996年)
    • ボビー・ロス(1997年 - 2000年)
    • ゲイリー・モーラ(2000年)
    • マーティ・モーヒンウェグ(2001年 - 2002年)
    • スティーブ・マリウーチ(2003年 - 2005年)
    • ディック・ジャーロン(2005年)
    • ロッド・マリネリ(2006年 - 2008年)
    • ジム・シュウォルツ (2009年 - 2013年)
    • ジム・コールドウェル (2014年 - 2017年)
    • マット・パトリシア (2018年 - 2020年)
    • ダレル・ベベル (2020年) (暫定)
    • ダン・キャンベル (2021年 - )

    脚注

    外部リンク

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