Loading AI tools
ポスト・ディスコの一ジャンル ウィキペディアから
ダンスロック (Dance-rock) は、リズム・アンド・ブルースの影響がわずかなポップ・ロックやポスト・パンクと結び付いたポスト・ディスコの一ジャンルである。パンク・ロックやディスコの人気低下後の1980年代前半に発祥した[2]。
初期のダンスロックの例として、ジーナ・エックスの「NO G.D.M.」[3]、ラス・バラードの「オン・ザ・リバウンド」[4]、ダイナソーLやリキッド・リキッドをはじめとしたアーティスト[5]、2000年に発売されたコンピレーション・アルバム『Disco Not Disco』[6][7]が挙げられる。
マイケル・キャンベルは、著書『Popular Music in America』で、ダンスロックについて「ポスト・パンクとポスト・ディスコの融合」と定義している。また、キャンベルはロバート・クリストガウの言葉を引用し、「1980年代に様々なDJが包括的な用語として使用していたダンス志向のロック」ともしている[8]。
一方で、オールミュージックはダンス・ロックについて「フィリー・ソウル、ディスコ、ファンクの影響を受け、それぞれのスタイルをロックやダンスと融合させ、1980年代および1990年代にロック・ミュージシャンによって演奏された音楽」と定義し、その例としてローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイ、デュラン・デュラン、シンプル・マインズ、INXS、ユーリズミックス、デペッシュ・モード、ザ・クラッシュ、ニュー・オーダー、ディーヴォを挙げている[9]。
ダンスクラブでは「ロック・ミュージックがディスコに取って代わる」と予想されていたが、代わりにポスト・ディスコやニュー・ウェイヴに加え、ポスト・ディスコが混在していた。ほどなくして、ダンス・ロックの第1陣として、ニュー・オーダー、プリンス、ヒューマン・リーグ、ブロンディ、トム・トム・クラブ、ディーヴォ、ダリル・ホール&ジョン・オーツ、トンプソン・ツインズ、ヘアカット100、ABC、デペッシュ・モード、スパンダー・バレエが登場した[2]。
1981年にクラフトワークはアルバム『コンピューター・ワールド』を発売してR&Bの聴衆を獲得し、アフリカ・バンバータの「プラネット・ロック」やエレクトロ全般に影響を与えており、多数のクロスオーバーが生み出された[10]。時を同じくして、ダンスロックやポスト・ディスコへの関心が高まったことにより、12インチシングル盤やEP盤の人気にも繋がった[2]。
その後ダンス・ロックは、ガービッジ、ノー・ダウト、ロビー・ウィリアムズ、シザー・シスターズ、ヤング・ラヴ、フランツ・フィルディナンド、アークティック・モンキーズ、カサビアン、ザ・キラーズをはじめとしたオルタナティヴ・ロック・ミュージシャンに影響を与えた[9]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.