Loading AI tools
ウィキペディアから
スペル・シーサー(1970年4月9日 - )は、日本の覆面レスラー。
現在活動しているのは2代目でギミック上は初代スペル・シーサーことSAITOの弟子とされているが正体はSAITOであることは公然の秘密とされている(公式上は別人)。
1999年1月31日、闘龍門JAPAN後楽園ホール大会でSAITOとして再デビュー。
2001年11月8日、後楽園ホール大会のエキジビションマッチでSAITOの弟子「スペル・シーサー」としてデビュー。かつてシーサーは表向き、10月28日のディファ有明大会で引退試合が行われて引退後は闘龍門JAPANのインストラクターを務めているSAITOの弟子と称してはいたが、シーサーの声がSAITOに似ていることやSAITOの過去の活動歴から同一人物疑惑が絶えなかった。SAITOは疑惑を否定するため、一夜限りの復帰を行ってシーサーと対戦したが、この時のシーサーは別人であったとも言われている。とはいえ、シーサーはDRAGON GATEオフィシャルブックでは正体がSAITOであることを公表している。
2005年3月27日、マグナムTOKYOプロデュースによるユニット「Pos.HEARTS」に加入される。5月、プロレスリング・ノア所属のタイガー・エンペラーと越境タッグを組み、ディファカップに出場した。その後、メキシコ修行時代の師匠であるキング・シーサーが参戦するとPos.HEARTSに在籍したままシーサーBOYと共にシーサーズを結成する。しかしキング・シーサーが正体を明かしてペンタゴン・ブラックとなってからシーサーズは消滅することになった。
2007年、博多ライトヘビー級王座の獲得やふく面ワールドリーグ参戦など、他団体での活躍もあった。
2010年、DRAGON GATEと大阪プロレスの団体抗争においてGammaがうっかり「CIMA」と「シーサー」を聞き違えたために抗争に参入する運びとなり、その存在感を遺憾なく発揮。しかし、大阪ハリケーンにて珍しくタイガースマスクに対し覆面剥ぎを行い反則負け。報復行為としてタイガースマスクが上屋劇場大会にてマスクを剥がされた。同年にはK-ness.を破りオープン・ザ・ブレイブゲート王座戴冠を果たしたが、上記の一連の大阪プロレスとの抗争により、ベルトが流出した(その後、吉野正人が取り返した)[1]。
2012年、ヒール以外と組む「便利屋」として試合を行うと同時に「ウィンドウズ」(窓際族ユニット)に加入。6人タッグながらCIMAからヨシタニックで勝利を上げた。2013年7月にウインドウズは発展的解散で「帰ってきたベテラン軍」と合体し、「オレたちベテラン軍」となった。12月札幌大会では特別ルール「5エスケープマッチ」でCIMAとシングルマッチを行い、「16年目」にしてCIMAにシングルマッチで勝利、翌日にはK-ness.にも勝利した[2]。
勢いに乗って2014年1月には堀口元気H.A.Gee.Mee!!の保持するオープン・ザ・ブレイブゲート王座に挑戦、2度目の戴冠を狙ったが敗北した[1]。しかしその後もトライアングルゲート戦線に絡むなど活躍の機会を増やしている。
2020年1月31日に後楽園ホールで開催された「闘龍門、再開。」での第四試合8人タッグマッチにおいて久しぶりに素顔のSAITOとしてリングに登場し、新井健一郎、新井小一郎、ヘンリーⅢ世菅原と組み、YOSSINO、コンドッティ修司、“brother”YASSINO、ミラニートコレクションa.t.組と試合を行った。
2022年4月21日、神戸サンボーホール大会で、コンディションなどの理由により、月末をもって退団を発表した。療養後に活動を再開予定。
ルチャリブレを基本としたジャベ、スープレックス系、飛び技をそつ無くこなす万能型。倒立やブリッジを絡めた多彩なジャベは解説する同僚たちから「シーサー・ワールド」とも称される。この能力を活かして現在は練習生や若手たちのプロレス指導も行っている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.