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ベルリンの区 ウィキペディアから
シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフ区 (シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフく、ドイツ語: Bezirk Charlottenburg-Wilmersdorf) は、ドイツの首都、ベルリンの行政区である。区コードは4。人口は約34万人である。中産階級の多い住宅地とされている。クーアフュルステンダム周辺は「シティ・ウェスト」として、ベルリンの歴史的中心部と並び、中心街としての機能を受け持っている。区内の施設には、ベルリン工科大学、ベルリン芸術大学、ベルリン・ドイツ・オペラ、連邦建設地域計画局、連邦リスク評価研究所、ベルリン・オリュンピアシュターディオンなどがある。
紋章 | ベルリン地図 (区の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | ベルリン州 |
緯度経度: | 北緯52度29分56秒 東経13度17分5.7秒 |
面積: | 64.72 km² |
人口: | 343,592人(2020年12月31日現在)[1] |
人口密度: | 5,309 人/km² |
郵便番号 | 10585, 10587, 10589, 10623, 10625, 10627, 10629, 10707, 10709, 10711, 10713, 10715, 10717, 10719, 10777, 13627, 14050, 14052, 14053, 14055, 14055, 14057, 14059, 14193, 14197, 14199 |
市外局番: | 030 |
区コード: | 04 |
区内地区数: | 7地区 |
行政庁舎の住所: | Rathaus Charlottenburg Otto-Suhr-Allee 100 10585 Berlin |
ウェブサイト: | charlottenburg-wilmersdorf.de |
区長: | ラインハルト・ナウマン (SPD) |
区議会議席配分: |
当区は7地区に分かれている。
地区番号と地区 ・区域 |
面積 (km²) |
人口(人)[1] (2020年12月31日現在) |
人口密度 (人/km²) |
区内地図(地区の位置) |
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0401 シャルロッテンブルク
|
10.60 | 129,359 | 12,204 | |
0402 ヴィルマースドルフ
|
7.16 | 101,877 | 14,229 | |
0403 シュマルゲンドルフ | 3.59 | 22,733 | 6,332 | |
0404 グルーネヴァルト | 22.30 | 11,176 | 501 | |
0405 ヴェストエント
|
13.50 | 41,328 | 3,061 | |
0406 シャルロッテンブルク=ノルト
|
6.20 | 19,422 | 3,133 | |
0407 ハーレンゼー | 1.27 | 15,497 | 12,202 |
区内の人口分布は非常に差異が大きい。ヴィルマースドルフ地区(ベルリン全体で第7位)、シャルロッテンブルク地区(11位)とハーレンゼー地区(12位)だが、グルーネヴァルト地区は、ベルリンで最も人口の少ない地区の一つである。グルーネヴァルト地区は、人口は全区のわずか3%であるが、総面積では三分の一以上を占める。しかし地区面積の約85%は、居住不可能な森林地域(グルーネヴァルト)や水域である。人口の三分の二は、シャルロッテンブルク地区とヴィルマースドルフ地区に居住している。ハーレンゼー地区は、 ハンザフィアテル地区に次ぎ、ベルリンで2番目に小さな地区である一方、グルーネヴァルト地区は、ベルリンでも大きな地区に数えられる。
シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフは、中産階級の多い地区とされている。シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフ区の人口は、2020年12月31日では343,592人であり、面積は64.7km²である[1]。人口密度は前記基準日では1km²あたり約5,309人である。2012年12月31日時点の外国人の割合は20.2%だったが、移民の背景を持つ人口の割合は36.0%であった[2]。失業率は2013年4月30日時点で10.7%であった[3]。2012年12月31日時点の区民平均年齢は45.7歳であった[2]。
当区は2001年1月1日に、シャルロッテンブルク区とヴィルマースドルフ区(両区とも旧西ベルリン)の合併により成立した。
2009年5月25日に区は、連邦政府から「多様性の場」という称号を受けた。
起源は集落「リーツェンブルク (Lietzenburg)」に遡る。元の名を「リーツォウ」といった。この地に女王ゾフィー・シャルロッテの結婚を記念し、シャルロッテンブルク宮殿が建設され、1705年には都市シャルロッテンブルク (Stadt Charlottenburg) となった。1920年に大ベルリンに編入されるまで、シャルロッテンブルクはプロイセンで最も裕福な都市に発展した。
現在のヴィルマースドルフ地区は1220年以降に成立した。18世紀半ばには、ベルリン市民が当時の「ドイチュ=ヴィルマースドルフ (Deutsch-Wilmersdorf)」に土地や農村家屋の購入を始め、ヴィルヘルムスアウエに夏の別荘を構えた。1907年4月1日よりヴィルマースドルフは、テルトウ郡から離脱し、独立した都市郡 (Stadtkreis) となった。1912年から都市名は「ベルリン=ヴィルマースドルフ」となった。1920年10月1日に大ベルリンに編入された。
シャルロッテンブルク=ヴィルヴィルマースドルフ区の紋章は、ベルリン市参事会から2001年9月4日に授与された。
紋章記述:「盾の中部には、銀と青に交互に塗り分けられたユリが3つある。下部は、金地に青の城門が置かれ、鋸壁と黒の落とし格子がつく。側塔の屋根はドーム型で、中ほどのものは寄棟屋根である。その上に旗がつき、右は黒と銀、左は赤と銀である。側塔にはそれぞれ盾がつき、右には銀地に金の王冠をかぶり、金の爪と嘴をもつ黒い鷲があり、翼には金の三つ葉の茎、胸には金の組み合わせ文字「FR」が置かれ、金色の王冠の意義を高める。盾の上部には赤く3つの塔がついた城壁冠があり、中ほどにはベルリンの紋章がつく[4]。」
説明:この紋章はシャルロッテンブルク区とヴィルマースドルフ区の紋章をもとにつくられた。下部は、鋸壁をもつ青の城門が置かれ、中ほどの通路に黒の落とし格子がつく。この要素はシャルロッテンブルクものであり、その歴史に由来する。前側の塔はプロイセン王国を象徴し、プロイセンの鷲と黒と白の旗がつく。対して後ろ側の塔は、ハノーファー家を表し、飛び跳ねる馬と赤と白の旗がつく。シャルロッテンブルク宮殿の要素の他に、青と銀の3つのユリがあるが、これはヴィルマースドルフ区の紋章に由来する。この要素はヴィルマースドルフを設立し、1802年に断絶した一族を表す。城壁冠はベルリン全区の紋章に共通の意匠である。
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