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ゴスフォード伯爵(ゴスフォードはくしゃく、英: Earl of Gosford)は、アイルランド貴族の爵位。1806年に創設された。
スコットランド出身の裁判官でアイルランドに入植したアーチボルド・アチソン(1583–1634)は1628年1月1日、ノバスコシアにおける準男爵に叙された[1]。
4代準男爵サー・ニコラス・アチソン(c.1655–1701)、5代準男爵サー・アーサー・アチソン(1688–1749)はアイルランド庶民院議員を務めた[2]。
6代準男爵サー・アーチボルド・アチソン(1718–1790)はアイルランド庶民院議員を35年間務めたのち、1776年7月20日にアイルランド貴族であるアーマー県におけるマーケット・ヒルのゴスフォード男爵に、1785年6月20日にアーマー県におけるマーケット・ヒルのゴスフォード子爵に叙された[3][4][5]。その息子である2代子爵アーサー・アチソン(c.1745–1807)はアイルランド庶民院議員、アイルランド枢密院の枢密顧問官を務め、1806年2月4日にゴスフォード伯爵に叙された[3][6]。
2代伯爵アーチボルド・アチソン(1776–1849)はホイッグ党の政治家であり、アイルランド庶民院議員、連合王国庶民院議員、アイルランド貴族代表議員、国王親衛隊隊長、アーマー統監を歴任して、1835年6月13日に連合王国貴族であるサフォーク州におけるベクルズのウォーリンガム男爵に叙され、同年にカナダ総督に就任した[7][8]。
3代伯爵アーチボルド・アチソン(1806–1864)は自由党の政治家であり、連合王国庶民院議員を務めたのち、父の存命中の1847年9月18日に連合王国貴族であるアーマー県におけるクランカーニーのアチソン男爵に叙された[9][10]。4代伯爵アーチボルド・ブラバゾン・スパロー・アチソン(1841–1922)はアーマー統監、ウェールズ公付き侍従たる議員を務めた[11]。
5代伯爵アーチボルド・チャールズ・モンタギュー・ブラバゾン・アチソン(1877–1954)は第二次ボーア戦争、第一次世界大戦に参戦した陸軍の軍人であり[11]、6代伯爵アーチボルド・アレグザンダー・ジョン・スタンリー・アチソン(1911–1966)は第二次世界大戦に空軍の軍人として参戦、戦後はイーデン内閣期に国防省政務次官を、マクミラン内閣期に外務省政務次官と侍従たる議員を務めた[12][13]。
2024年現在の当主は6代伯爵の息子にあたる7代伯爵チャールズ・デイヴィッド・アレグザンダー・ジョン・スパロー・アチソン(1942–)である[14]。
爵位の推定相続人は現当主の叔父の息子にあたるニコラス・ホープ・カーター・アチソン(1947年 – )で、その法定推定相続人は息子にあたるエリック・ジェームズ・パトリック・アチソン(1988年 – )である。
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