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セイヨウリンゴの一品種 ウィキペディアから
ケントの花(ケントのはな、英:Flower of Kent)は、セイヨウリンゴの品種名である[1]。1665年にアイザック・ニュートンが万有引力を発見したのは、この品種のリンゴが落果するのを見たのがその契機であると伝わり、「ニュートンのリンゴ」、「ニュートンのリンゴの木」などの別名でも知られる[1][2][3][4]。万有引力発見の逸話に登場する木は1814年に伐採されて現存しないが、接ぎ木で残された子孫の木が世界各地で栽培されている[1][2][5]。
ケントの花の起源は古く、1629年までさかのぼるといわれる[1]。原産地はフランスと推定されている[5]。この品種のリンゴは熟す時期がまちまちで、しかも熟した果実はすべて自然に落果する[1][5]。よく知られているのは、1665年にこの品種のリンゴが落果するのを見たニュートンが万有引力を発見したという逸話である[1][3][2][4]。
ニュートンは1665年8月から1666年3月25日までと、1666年6月22日から1667年3月までの2回にわたってウールズソープ・マナーに滞在していた[6]。彼はウールズソープ・マナーの果樹園に座って瞑想にふけっていた。そのときケントの花の樹上から、1個のリンゴが風もないのに落果してきたのが万有引力の発見の契機になったという[1][3][2][4][6]。ニュートンと同時代の作家ウィリアム・ステュークリは、その著 Memoirs of Sir Isaac Newton's Life に、1726年4月15日のニュートンとの会話としてこの逸話を記述している[3][4]。ヴォルテールも、ニュートンの姪から聞いたとして同様の話を紹介している[4](アイザック・ニュートン#リンゴについての逸話を参照)。
ただし、この逸話についてはさまざまな解釈がなされており、実際の出来事であるかについては議論がある[注釈 1][1]。
万有引力発見の逸話に登場したリンゴの木は、1814年に老衰のために伐採されて現存しない[1][5][7]。その原木で作られた椅子と余ったリンゴの材木は、英国王立協会と天文台が保存している[1]。伐採以前に接ぎ木で増殖した苗木が、「ニュートンのリンゴの木」として世界各地で栽培されている[1][2][8]。
2010年5月14日、ケントの花はスペースシャトル・アトランティスのミッションSTS-132において宇宙に旅立った[9][10]。これは、イギリス出身のミッションスペシャリスト、ピアーズ・セラーズが「公式携行品」として持参したもので、約10センチメートルほどの木片がニュートンの肖像画とともに積み込まれた[9][10]。宇宙空間を体験したケントの花の木片は、ミッション終了後に本来の持ち主である英国王立協会に戻されたという[9][10]。
日本にケントの花が伝来したのは、1964年のことであった[1][2][11]。この伝来について、化学者の柴田雄次(1962年から1970年まで日本学士院院長を務めた)が大きな役割を果たした[1][5][11]。柴田は当時イギリス国立物理学研究所長を務めていたゴードン・サザーランドとは旧知の仲であった[1][5][11]。イギリス国立物理学研究所の敷地内には、「ニュートンのリンゴの木」の子孫にあたる木が生育していたため、柴田はその木が結実したら1個もらいたいと依頼していた[1][5][11]。サザランドは1962年秋、万国化学協会の実行委員会が日本で開催された際に来日し、柴田から依頼されたとおり、その木に初めて結実したリンゴ1個を持参した[1][5]。
柴田などはそのリンゴの種から実生の苗を育成することを考えていたというが、サザーランドは「種子を播いてできた木は、ニュートンのりんごの子孫であるが、ニュートンのりんごでないので、本物の接ぎ木苗を送る」という手紙を1963年に送ってきた[1][5]。サザーランドは柴田に宛てて接ぎ木苗を1本航空便で送り、その木は1964年2月20日に羽田空港に到着した[1][5][11]。
しかし、防疫検査によりこの苗木は高接病ウイルス(Apple chlorotic leafspot virus)[注釈 2][12]感染の疑いをもたれ、条件付きの輸入許可となり横浜植物防疫所大和隔離圃場で1年間隔離栽培のうえ詳細に検査することとなった[1][5][11]。その検査結果は、やはり高接病ウイルスに感染していたことがわかり、焼却処分さえ検討された[1][5]。この苗木は学術上貴重な文化遺産であるので何としても残したいという柴田たちの要望を受け入れて、小石川植物園に隔離されることになった [1][5][11]。高接病は接ぎ木以外の方法では伝染しないため、ウイルス無毒化の研究が続けられた[1][5][11]。
農林水産省果樹試験場などが実施した高接病ウイルス無毒化の研究資料をもとに、小石川植物園では熱処理法を行ってウイルス除去に成功した[1][5][11]。熱処理法は高温下で木の生長を促進するとウイルスの増殖スピードが追いつかなくなることを応用して、伸ばした枝の先端部を切り取ってウイルス汚染のない接ぎ穂を作る方法であった[1][5][12]。熱処理法に成功したのは1980年のことで、1981年からは小石川植物園内で一般に公開されている[1][5][11]。この木から増やされたケントの花の木が、日本各地で育っている[1][8][11][13]。
起源と逸話の節で既に説明したとおり、ケントの花の果実が熟する時期は8月末から9月にかけてまちまちであり、まとめて収穫して市場に流通させることができず、経済的品種としては価値がない[1][5][9]。しかも熟した果実は、すべてが自然に落果する[1][5]。『青森県のりんご 市販の品種とりんごの話題』pp.64-66では、ケントの花の果実が必ず落果する性質に言及して「万有引力の説明に、りんごの落下を引用した理由がよく理解できます」と記述していた[1]。
ケントの花の果実は1個あたり120-250グラムの重量があり、縦に切ると断面はがくあ(萼側のくぼんでいる部分)が浅い[注釈 3][9][14]。最初は緑色を呈し、熟した果実は濃赤色縞状に着色する[1]。果実は生食には向かず、料理用として使用される[1][7][9]。
この品種の果実は、現代のリンゴとは味も食感も異なっていて人によっては「まずい」と評価される[1][8][7][9]。樹上にある実は赤く色づいていても、渋くて食べられたものではないという[1][9]。現代で市販されているリンゴは品種改良により美味しくなっているがイギリスではリンゴを食べることが一般的でなかったことから本品種はそうではなく「まずいカスが口の中で残る」「砂のような食感」だと表現されている[15]。落果してしばらくすると完熟して美味しく食べられるようになるが、完熟した状態では保存がきかない[1][9]。
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