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イギリスのジャズピアニスト、作曲家 ウィキペディアから
キース・ティペット(Keith Tippett、1947年8月25日 - 2020年6月14日[1])は、イングランド出身のミュージシャン、ジャズピアニスト、作曲家。
キース・ティペット Keith Tippett | |
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2006年7月 | |
基本情報 | |
出生名 | Keith Graham Tippetts |
生誕 | 1947年8月25日 |
出身地 | イングランド ブリストル |
死没 | 2020年6月14日(72歳没) |
ジャンル |
ジャズ フリー・ジャズ ジャズ・ロック ポップ・ロック プログレッシブ・ロック |
職業 | ミュージシャン、ピアニスト、作曲家 |
担当楽器 | ピアノ、キーボード |
活動期間 | 1968年 - 2020年 |
レーベル |
ポリドール・レコード ヴァーティゴ RCAレコード オガン・レコード Universe Productions FMP Records ほか多数 |
共同作業者 |
キース・ティペット・グループ ジュリー・ティペッツ センティピード キング・クリムゾン デディケーション・オーケストラ ソフト・ウェア(ソフト・マシーン) ほか |
1970年代から主に、ジャズ・ロックの分野で活動。数多くのジャム・セッション実績を誇る同国の代表的なジャズ・プレイヤーの一人。
パット・エヴァンス(Pat Evans)のリハーサルバンドで演奏する機会を得て、才能を認められた。
1968年の第1回バリー・サマー・スクールにおいて、最優秀ピアニストに選ばれた。各部門で最優秀に選ばれたエルトン・ディーン (サックス)、マーク・チャリグ (コルネット)、ニック・エヴァンス (トロンボーン)、ギラン・リオンズ (ベース)、レス・サークル (ドラムス)と、7月にキース・ティペット・グループを結成した。8月に同じバリー・サマー・スクールでデビューコンサート。ドラムスはレスからアラン・ジャクソンに替わり、9月には初レコーディング。
1969年には1月から英国ジャズ協会の100Clubで演奏活動開始、8月からはマーキー・クラブに進出し常連となる。その後「キング・クリムゾン」など様々なグループと知り合い、互いの作品にも参加した。
1970年10月にはファースト・アルバム『ユー・アー・ヒア・アイ・アム・ゼア』を発表[2]。50人編成のビッグ・バンド「センティピード」を企画しコンサートを行ない、翌1971年1月にはセカンド・アルバム『デディケイテッド・トゥー・ユー』を発表するなど、当時はビッグバンド、小編成のジャズ・コンボ、オヴァリー・ロッジ等の即興演奏と、主に3つのスタイルで活動していた。その後、ジャズ、ロック、ポップスの膨大な数のセッションに参加し、多くのアルバムに名を刻んでいる。
妻はブライアン・オーガー・アンド・ザ・トリニティーなどで活動したボーカリストのジュリー・ドリスコール(現ジュリー・ティペッツ)。夫婦揃って「キース & ジュリー・ティペッツ」名義で活動することもある。
2013年[3]と2015年に日本公演を開催[4]。さらに2015年には「ソフト・マシーン・レガシー」のサポートとして再来日した[5]。
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