「TK state」(ティーケーステート)とは1994年から2000年まで運営されていた小室哲哉の個人事務所である。正式名称は「TETSUYA KOMURO state」である。小室の実父が代表取締役を務め、小室も取締役に名を連ねていた[1]。専務取締役として、TM NETWORKデビュー時からの付き合いであり、ヤマハの渋谷の営業部に配属していた道免友彦の名もある[2][3]。
1992年に前進となる「OPERA GIG」が設立され[4]、1994年に「TK state」に改名[5]。
TK SEQUENCE
- 正式名称は「tetsuya komuro SEQUENCE 1101〜5」である。「True Kiss Disc Studios 1101〜5」とも表記された。
- 主に小室個人所有のレコーディングスタジオの運営・管理・機材購入を行っていた。DJ KOOも設営・機材の選別に関わっていた[8]。
- 東京のマンションのフロアを5部屋借り切る形で設立され、トイレ・エレベーターを含む各階・各部屋全てにテレビモニターをつけて、どこからでもボーカル・コーラスを録れる様にした[9]。
- 小室の「東京のスタジオのレンタル料金は世界一高い。1時間5万円はかかる。6時間借りて、且つエンジニアへのギャランティ・機材のレンタル料金・スタッフの食事代も入れると1日50万円はすぐに超えてしまう。だから私有スタジオを作った方が結果的にリーズナブル」という経験が本格的にプライベートスタジオを所有する切っ掛けになった。機材・設備も小室の自費で揃え、設立するための初期投資の総経費は2億5千万~2億7千万円はかかっている[10]。
- 1997年に以前から存在していた「TK Sequence 1103」が小室の助力もあり、久保こーじ専用のプライベートスタジオとして運営されていた[11]。
TK ENTERTAINMENT SERVE
- 「TK E SERVE」と略することもあった。
- 小室プロデュース作品のプロモーションビデオ・CMの制作とプロデュースを取り仕切っていた[3]。
- イベント限定音楽ユニットであったtk-trapのプロデュースを行っていた。
- 華原朋美のヒストリービデオ「HOW TO MAKE TOMOMI KAHALA 華原朋美はいかにして華原朋美となり得たか」の制作を行った。
Prime Direction TK Room
- 当時の小室の本所属先であるアンティノス・マネジメントからの業務委託で、1996年以降のエイベックス発の小室プロデュース作品の原盤・映像制作、小室の周囲の予算・情報・版権の管理を担当していた[3]。
tetsuya komuro rise
- 「TK rise」と略することもあった。
- 1995年3月に設立[3]。
- 主に華原朋美・木根尚登・久保こーじ[3]・阿部薫[12]のプロデュース・マネジメント・コーディネート業務を行っていた。
- 華原に関しては「Prime Direction TK Room」に業務委託し、エイベックスと共同で行っていた[3]。
文藝春秋刊 『週刊文春』 1998年6月25日号「小室哲哉が"新居予定地"を3億3千万円で売却した! 華原朋美との関係に終止符?」pp.195-197より。
講談社刊「Views」1995年6月号「小室哲哉の『ミラクル』全角度研究」pp.64-65より。
講談社刊『Views』1996年8月号「“小室哲哉利権” 500億円に食らいついた音楽ビジネスの『巨人』」28P-35Pより。
リットーミュージック刊『ギター・マガジン』2019年11月号『Special Interview 小室サウンドを一手に担ったスゴ腕職人 松尾和博』120Pより。
ソニー・マガジンズ刊『ギターブック』1996年2月号「小室哲哉&久保こーじ 音楽工房の頭脳と心臓」p.13より。
集英社刊「Bart」1995年3月13日号「小室哲哉 『今は、勝てる勝負しかしていない』」36P-41Pより。
ソニー・マガジンズ刊「ギターブック」1997年8月号「GB CHANNEL 1997」p.171より。
クレタパブリッシング刊「昭和50年男」May Vol.004「シーンを刷新し続けたエピック・ソニーとブームへの布石を築きはじめた小室哲哉」16Pより。