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論文で存在が主張されたがその後否定された細胞のひとつ ウィキペディアから
刺激惹起性多能性獲得細胞[1][2](しげきじゃっきせいたのうせいかくとくさいぼう)は、動物の分化した細胞に弱酸性溶液に浸すなどの外的刺激を与えて再び分化する能力を獲得させたとして発表された細胞である。この細胞をもたらす現象を刺激惹起性多能性獲得(英: Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency)と言う[1][3]。
刺激惹起性多能性獲得細胞は、この現象の英語名から、論文内での略称や一般の呼称としてはSTAP細胞(スタップさいぼう、英: STAP cells)と呼ばれる[注 1]。同様に、現象についてはSTAP現象(スタップげんしょう、英: STAP)、STAP細胞に増殖能を持たせたものはSTAP幹細胞(スタップかんさいぼう、英: STAP stem cells)とされる[6]。また、胎盤形成へ寄与できるものはFI幹細胞と呼ばれる[7]。
2014年1月に小保方晴子(理化学研究所)と笹井芳樹(理化学研究所)らが、チャールズ・バカンティ(ハーバード・メディカルスクール)や若山照彦(山梨大学)と共同で発見したとして、論文2本を学術雑誌ネイチャー(1月30日付)に発表した[8][9]。発表直後には、生物学の常識をくつがえす大発見とされ[3][10]、小保方が若い女性研究者であることもあって、世間から大いに注目された。
しかし、論文発表直後から様々な疑義や不正が指摘され、7月2日に著者らはネイチャーの2本の論文を撤回した[11][12]。その後も検証実験を続けていた理化学研究所は、同年12月19日に「STAP現象の確認に至らなかった」と報告し、実験打ち切りを発表[13][14]。同25日に「研究論文に関する調査委員会」によって提出された調査報告書は、STAP細胞・STAP幹細胞・FI幹細胞とされるサンプルはすべてES細胞の混入によって説明できるとし、STAP論文は「ほぼ全て否定された」と結論づけられた[15]。
研究の着想は「植物のほか、動物の中でもイモリは傷つくなど外からの刺激をきっかけに、万能細胞化して再生する。ヒトを含めた哺乳類でも同様のことが考えられないか」という素朴な疑問にあるとされた[16]。小保方が大学院時代に留学したハーバード大学医学大学院のブリガムアンドウィメンズ病院麻酔科教授のチャールズ・バカンティらは、成体内に小型の細胞が極少数存在し、これが休眠状態の多機能細胞ではないかとの仮説を唱えていた(胞子様細胞)[1]。小保方はこの研究室で組織細胞をガラスの細管に通して小型細胞を選別する実験を行った。この実験で小型の幹細胞は取り出せるが、元の組織には幹細胞が観察されないこと、繰り返し細管に通すと少しずつ小型の幹細胞が出現することなどを知った。小保方は「小さい細胞を取り出す操作をすると幹細胞が現れるのに、操作しないと見られない。幹細胞を『取り出している』のではなく、操作によって、『できている』という考えに至った」と話している[17]。
従来、遺伝子の導入などによらず、外的刺激を与えることのみで、動物細胞の分化した状態を無効にして初期化(リプログラミング)し、万能細胞にすることはできないとされていたため、STAP細胞の発見は生命科学の常識を覆す大発見とされ[3][10]、細胞初期化原理の解明や医療への応用が期待された[18][19]。ここで外的刺激とは細胞を弱酸性溶液(pH5.7)に短時間浸すというような簡単な処理であるとされた[8]。
また、発表当初はiPS細胞と比較したSTAP幹細胞の優位性についても強調された[20]。しかし、iPS細胞の発見者である山中伸弥により反論され[21]、理化学研究所も「誤解を招く表現があった」として、3月18日には当初の主張を撤回している[22][23]。しかし、最初の会見時に記者に配布された解説図は iPS 細胞の樹立確率を1%としており、これを「牛が無理やり細胞を引きずる」絵で表現しているのに対し、STAP 細胞の樹立については「魔法使いが簡単に高い確率で一瞬で STAP 細胞を作った」絵を用いており、誤解というよりは、明らかに iPS 細胞に対する優位性を主張していた[24]。
STAP細胞はiPS細胞とは異なり、体内での臓器再生等、別の可能性があることが期待されていた[18][25]。また、小保方は細胞初期化を制御する原理が解明できれば、細胞の状態を自在に操作可能な技術につながると語り[26]、山中も初期化のメカニズムに迫るにあたって有用だとしていた[18]。
また、共著者の一人である東京女子医科大学教授の大和雅之は、外的刺激による初期化は生物が生存のために環境に適応する進化的意味合いを持つとし、未知の生命現象が解決する可能性[注 2]や生物学におけるインパクト、波及効果を指摘していた[19]。
STAP細胞は胎児にも胎盤にもなれることから、多能性細胞を越える「全能性細胞」であるかもしれないと言われていた[27]。もし人間でも作成することができ、それが全能性を持っていた場合、子宮に移植することにより人間そのものができてしまう可能性があり、それに伴う倫理的問題が指摘された[28]。チャールズ・バカンティはマウスの胎盤にSTAP細胞と主張する細胞の細胞塊を注入する実験を行い、胎児に育つことを期待したと言われている[29]。現在はマウスでの研究段階であるが、もし人でも全能性を持つSTAP細胞が作れるとすれば完全なクローン人間を作れることになり、中絶反対派などとの論争が懸念された[27]。また、生存中の人間と同じ遺伝子情報を持つ別の人間が存在してしまうことになるが、これは体細胞由来のiPS細胞やクローンES細胞でも同様に起こり得る問題である[30]。このような問題はイギリスの科学雑誌「NewScientist」[31][32]を中心に取り上げられた[33]。
小保方らは、まず未分化細胞で特異的に発現するOct4遺伝子の挙動を観察した。Oct4プロモーターの下流にGFP遺伝子配列を繋いだコンストラクトをマウスに導入し、Oct4の挙動(正しくはOct4プロモーターが活性化されたかどうか)がGFPの蛍光によって可視化出来るシステムを構築した(いわゆるレポーターアッセイである)。このOct4::GFPマウスのリンパ球を使用し、細胞外環境を変えることによる細胞の初期化の状況を解析した[6]。細いガラス管に通すという物理刺激を与えたり[注 3]、毒素(細胞毒素ストレプトリジンO)で細胞膜に穴をあけたり、飢餓状態にしたり、熱刺激を与えたりなどさまざまな方法を試した結果、酸性溶液による細胞刺激が最も有効であることを発見した[17]。小保方らの試行では、生後1週のマウス脾臓のリンパ球をpH 5.7、37℃の酸性溶液に25分浸して刺激を与え[34][注 4]、B27と多能性細胞の維持・増殖に必要な増殖因子である白血病阻止因子(LIF)を含むDMEM/F12培地に移して培養する方法が、最も効率的にSTAP細胞を作製できた[6][36]。
次に、小保方らは、生きた細胞を長時間培養しながら顕微鏡で観察するライブイメージング法で7日間にわたって解析を行った。その結果、得られる未分化の細胞は、分化したリンパ球が初期化されたものであり、試料に含まれていた未分化の細胞が酸処理を経て選択されたものではないことを示唆した[1][6][37][38]。遺伝子解析を実施してOct4陽性細胞を検証した結果、Oct4陽性細胞のT細胞受容体遺伝子に、リンパ球T細胞が分化した時に生じる特徴的な遺伝子再構成であるTCR再構成が検出された[6][37][注 5][注 6]。このことから、Oct4陽性細胞は、T細胞に一度分化したリンパ球由来の細胞を酸性溶液処理で初期化して得られたものであり、Muse細胞のような既存の多能性幹細胞が酸性溶液処理によって選択されたものではないことを検証した[6]。また、このOct4陽性細胞は、Oct4以外にも多能性細胞に特有のSox2、 SSEA1、Nanogといった遺伝子マーカーを発現していた[6][40]。さらにOct4陽性細胞は3胚葉組織への分化能を持っていた[6][41][注 7]。その後、小保方らは、脳・皮膚・骨格筋・脂肪組織・骨髄・肺・肝臓・心筋などの組織の細胞についても同様に処理し、いずれの組織の細胞からもSTAP細胞が産生されることを確認した[42]。
また、LIFと副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)を含む培地を用いることにより[42]、多能性と自己複製能を併せ持つ細胞株を得る方法が確立された[6]。これがSTAP幹細胞と呼ばれるものである[18]。STAP幹細胞は胎盤組織への分化能を持たないが[6][43]、STAP細胞の培養条件を変え、栄養膜幹細胞の作製法と同様にFgf4を含む培地で長期間の接着培養することにより得られた幹細胞(FI幹細胞またはFGF4誘導幹細胞[注 8])からは胎盤を誘導することができた[45][46]。
2014年1月30日発表のアーティクル論文[8]では分取できたリンパ球系のSTAP細胞にTCR遺伝子再構成が認められ[注 9]、培養条件を変えることによりそのSTAP細胞からSTAP幹細胞を樹立できたと報告し[47]、『体細胞の分化状態の記憶を消去し初期化する原理を発見』したとしていた[6]。しかし、プロトコル・エクスチェンジの中で、8クローンのSTAP幹細胞を調査したところ、いずれにおいてもTCR遺伝子再構成が認められなかった[注 10]ことが公表されたことにより[35][48]、STAP幹細胞が分化した体細胞に由来したと主張する証拠が無いことが判明した[49][50][51]。
若山照彦はこのことについて、「STAP細胞が出来た重要な証拠の1つである特定の遺伝子の変化について、論文発表前、研究チーム内では『変化がある』と報告され、信じていたが、先週、理化学研究所が発表した文書の中では、変化はなかったと変わっていた」とし「STAP細胞の存在に確信がなくなった」と述べた[52]。3月10日、若山はこの矛盾を始めとして、STAP細胞が3胚葉組織への分化能を持つことを示す画像が博士論文と酷似していた事実を受けて、論文の撤回を呼び掛けた[53][54]。
2014年6月10日、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの自己点検検証委員会(CDB 自己点検検証委員会)は、小保方晴子、丹羽仁史、笹井芳樹が、2014年1月30日のアーティクル論文[8]発表の1年前の2013年1月時点で、STAP幹細胞にTCR遺伝子再構成がなくなっていたという結果を共有していたが、STAP幹細胞にTCR遺伝子再構成がないことを記載せずネイチャーに発表していたことを報告した[55][注 11][注 12]。
理化学研究所統合生命医科学研究センター上級研究員の遠藤高帆は、小保方らのレター論文の発表に付随してWEB上で公開されていたmRNAの配列データの一塩基多型(SNP)を解析することにより以下の結論を得[7][61][62]、9月21日、日本分子生物学会の英文誌 Genes to Cells 上で発表した[63][64]。
論文撤回理由として以下の説明のつかない重大な矛盾があることが報告された。ドナーマウスとSTAP幹細胞では違う染色体にGFP遺伝子が挿入されていた。また、そのGFP遺伝子はドナーマウスはホモ接合であるのに、STAP幹細胞はヘテロ接合であった[65]。
2014年4月1日、理化学研究所は研究論文の疑義に関する調査最終報告を公表し、2項目について不正と認定した[66][67][68][69][注 13]。
画像や解析結果の誤りなどにより、7月2日にネイチャーに投稿された論文は撤回に追い込まれ[65][70][71][72][73]、「STAP現象全体の整合性を疑念なく語ることは現在困難」[74]などの著者らのコメントも発表された[75][76][77][78]。
撤回理由は調査委員会が調査した疑義や不正認定した2枚の画像に加え、1) レター論文のキメラ胚の写真において、ES細胞由来とSTAP細胞由来の写真がともにSTAP細胞由来のものであったこと、2) アーティクル論文の2倍体キメラ胚の写真に、4倍体キメラ胚の別の写真が使用されていたこと、3) デジタル画像処理によるものを「長時間露光」と誤って記載していたこと、4) レター論文のSTAP細胞とES細胞の図において、ラベルが逆になってしまっていたこと、5) 『ドナーマウスと報告された STAP幹細胞では遺伝背景と遺伝子挿入部位に説明のつかない齟齬がある。』、の5点があげられている[79][80]。
2014年12月25日、理化学研究所は研究論文に関する調査報告書を公表し、以下のように結論した。
実験手技要旨[34]に加え、理化学研究所は2014年3月5日に、より詳細な実験手技解説[35]を公開した[48]。なお、アーティクル論文とレター論文の取り下げに伴い、この実験手技解説も7月2日付けで取り下げられている。
このプロトコル・エクスチェンジには、「単純に見えるが、細胞の処理と培養条件、さらに細胞個体群の選択に、とりわけ慎重さを要する」という「注意書」があり、カリフォルニア大学デービス校准教授のポール・ノフラーは、これは「STAP細胞は作るのがきわめて難しい」と同義だと指摘した[85]。また、ウォール・ストリート・ジャーナル紙も、プロトコル・エクスチェンジが、元の論文と矛盾するとした[86]。
更に同年3月20日には、細いガラス管に通した後で弱酸性液に浸す改善版実験手技[87]を、チャールズ・バカンティらが公表した[88]。これについて、ノフラーは「作製効率や検証方法が書かれておらず、筆者が誰かの明示がない。実際に作製できるかは疑問」と指摘した[89]。同年4月9日には、米国の幹細胞学者でマサチューセッツ工科大学教授であるルドルフ・イエーニッシュが、STAP細胞の作製法を今すぐ公開すべきだとし、既報の作製法が既に4種類も存在するのは異常だと指摘した[90]。
なお、この実験手技についてチャールズ・バカンティと小島宏司は、同年9月3日に連名でさらなる修正版[91]を発表した[92]。簡単に作成できるという発言を撤回し、ATPを加えることに言及している[93][94][95]。
論文が公開されるまでに、論文共著者の若山照彦は再現実験を山梨大学で数十回実施したが一度も成功しなかった[56][96]。理化学研究所発生・再生科学総合研究センター内で、小保方以外の人物が独立に成功したことはなかったという[56]。
また、ポール・ノフラーはウェブサイトにて世界の研究者たちに呼びかけてSTAP細胞作製の追試のデータを集め、2014年2月14日から2月19日に間に様々な細胞で試行された10件の報告が寄せられた[97]。その中には追試に成功したという報告は無い[97]。マウス胎児線維芽細胞で追試を試み、多くの自家蛍光が見られたと報告した関西学院大学の関由行は[97]、「いくら詳細な手順が示されているといっても、論文のデータの信頼性が失われた中では再現に取り組みようがない」と述べた[98]。
近畿大学ではリンパ球ではなく線維芽細胞を対象として約30回、細胞を酸に浸す実験に取り組んだ。細胞塊が出現し、万能細胞特有の遺伝子が微弱に反応して発光も見られたものの、発光には緑色だけでなく赤色の光も含まれていた。発光は死細胞の自家蛍光で、遺伝子の反応は極めて微弱で不十分なものであり、STAP細胞の再現には至っていない。また、9月に発表されたバカンティ・プロトコルで言及されたATPを酸に追加することも試したが、失敗している[95]。
2014年4月1日、香港中文大学教授の李嘉豪は、チャールズ・バカンティ発表の実験手技に基づく追試において、対照実験として研和のみを与えた細胞で予期しなかった多能性マーカー(Oct4、Nanog)の発現を確認したが、多くの細胞が死んだことや、多能性マーカーの発現量が多能性細胞に比べて10分の1以下だったことから、細胞死に伴う無秩序な遺伝子発現による副産物であろうと論じ、STAP細胞の一部の過程の再現との解釈に否定的な見解を示した[99][100]。李は「研和のみの操作は難しくないので他の研究室でも試せないだろうか」「個人的にはSTAP細胞は実在しないと考える。労力財力の無駄なので、これ以上の追試はしない」と述べ[100]、同グループは追試の結果を論文にまとめてオンライン誌で発表した[101]。
2014年4月以降、理化学研究所はSTAP現象の検証チームを立ち上げた。チームは相沢慎一・丹羽仁史を中心として小保方は除外した形で構成され、翌年3月を期限として論文に報じられていたプロトコルでのSTAP現象の再現を試みた。また、7月からはこれとは別に小保方にも11月末を期限とした単独での検証実験を実施させた[102][103]。同年8月27日の中間発表の段階では、論文に記載されているプロトコルでのSTAP細胞の出現を確認することはできなかった[95][104]。同年12月19日、理化学研究所は、検証チーム・小保方のいずれもSTAP現象を再現できなかったとし、以下の検証結果を発表し、実験打ち切りを発表した[13][14]。
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