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M7自走砲は、第二次世界大戦時にアメリカ合衆国で開発された自走砲。愛称はプリースト(Priest)。
イスラエル砲兵隊博物館に展示されているM7自走砲 | |
性能諸元 | |
---|---|
全長 | 6.02m |
全幅 | 2.88m |
全高 | 2.95m |
重量 | 22.9t |
懸架方式 | 垂直渦巻きスプリング・ボギー式(VVSS) |
速度 | 38.6km/h |
行動距離 | 193km |
主砲 | 105mm榴弾砲M2(69発) |
副武装 | 12.7mm重機関銃M2×1(300発) |
エンジン |
コンチネンタル R975 C1 4ストローク星型9気筒空冷ガソリン 400馬力 |
乗員 | 7名 |
砲兵の自走化を目指すアメリカ陸軍兵器局は、手始めにM3ハーフトラックに75mm野砲を搭載したM3A1自走75mm砲を製造した。その後、運用結果などから半装軌式のハーフトラックよりも完全装軌式の車両に搭載した方が良いとの結論に至り、兵器局はM3中戦車の車体に105mm榴弾砲を搭載したT32自走砲の開発を開始した。試作車は1942年始めに完成し、アバディーン性能試験場で試験を受けた。試験の結果、エンジン配置の関係による砲の仰角不足と対空兵器の不備が指摘され、これを受けて車体右前方に12.7mm重機関銃M2が装備された。
T32は、同年4月にM7自走砲として制式採用され、1942年だけで2,028両が生産された。また、1944年3月からは使用する車体がM3中戦車からM4A3中戦車に変更され、M7B1と呼ばれた。その後、105mm榴弾砲の装備位置を一段高くし、最大仰角をそれまでの35度から65度に引き上げたM7B2が生産された。
当初はアメリカ軍向けのみが生産されたが、1942年9月に90両がイギリス第8軍にレンドリース供与された。また、プリースト(聖職者)という愛称も、機関銃座が教会の説教台に似ていることから、イギリス軍がつけたものである。初の実戦参加は1942年10月の第二次エル・アラメイン会戦で、この戦いにおける本車の性能を見たイギリス軍は、M7のさらなる供与を要求し、終戦までに数百両が供与された。
対照的に米軍での本格的な実戦投入は遅れ、集団的に作戦に投入されたのは1944年6月のノルマンディー上陸作戦以降で、陸軍機甲師団麾下の自走野砲大隊に配置され活躍した。M7は、元々が中戦車だったこともあり、高い機動性と広い車内スペースを有しており、兵士たちから歓迎された。また、多くの部品がM3およびM4中戦車と同じであり、使用する弾薬は野砲と同じであったために整備・補給が容易な点も評価された。大戦終結後もM7は米軍の制式装備にとどまり、朝鮮戦争にも参加している。その後、米軍で余剰となった車両の一部は、M4中戦車および、その改良型を大量運用していたイスラエル軍に供与され、中東戦争でも活躍した。
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