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1981年の西武ライオンズでは、1981年の西武ライオンズの動向をまとめる。
この年の西武ライオンズは、根本陸夫監督の4年目のシーズンである。
前年スティーブ・オンティベロス、田淵幸一ら打線の活躍で後期に優勝戦線に殴り込みをかけたチームはこの年も戦力補強を積極的に行い、石毛宏典・杉本正・秋山幸二などといった黄金時代の主力選手が相次いで入団。投手陣は13年目の東尾修、3年目の森繁和、そして松沼博久・松沼雅之兄弟をはじめ、古沢憲司・柴田保光が中継ぎで控えるなど層が厚く、打撃陣は石毛のほかにも現役大リーガーのテリー・ウィットフィールドが加わったことからチームは優勝が期待された。前期は日本ハムの不調をしり目にロッテ・阪急と優勝を争い、2位で終了。後期は8月まで日本ハムと3ゲーム差の4位と健闘するが、9月以降は8連敗を喫して急降下。後期の優勝はならず、最終成績は61勝61敗8分で西鉄末期の1967年以来14年ぶりの勝率5割となった。投手陣はチーム防御率3.62でリーグ1位、打撃陣はリーグ2位の143本塁打と打ちまくったが飛ぶボール使用禁止の影響で前年から本塁打が激減し、盗塁数も72個と最下位だった。戦力の基礎が固まったこともあり、根本監督はこの年限りで勇退し1978年にヤクルトを日本一に導いた広岡達朗が新監督に就任した。シーズン終了後、かつての4番土井正博が根本監督の勇退とともに引退し、また古沢が翌年の途中に広島に移籍するなど、世代交代も加速していく。
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順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 日本ハムファイターズ | 68 | 54 | 8 | .557 | 優勝 |
2位 | 阪急ブレーブス | 68 | 58 | 4 | .540 | 2.0 |
3位 | ロッテオリオンズ | 63 | 57 | 10 | .525 | 4.0 |
4位 | 西武ライオンズ | 61 | 61 | 8 | .500 | 7.0 |
5位 | 南海ホークス | 53 | 65 | 12 | .449 | 13.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 54 | 72 | 4 | .429 | 16.0 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
石毛宏典 | 遊撃手 | 初受賞 |
テリー | 外野手 | 初受賞 |
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
山崎裕之 | 二塁手 | 2年連続3度目 |
石毛宏典 | 遊撃手 | 初受賞 |
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