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1953年の広島カープでは、1953年シーズンについての広島カープの動向についてまとめる。
1953年の広島カープは、石本秀一監督の4年目のシーズンであり、5月から球団経営に専念した石本に代わり、白石勝巳が監督に就任した1年目のシーズンである。
球団4年目のチームは4月までは石本監督が指揮を執っていたが、球団経営専念のため1950年創設以来、選手兼助監督として活躍した白石勝巳が選手兼任で5月から監督に就任。しかし、監督交代と前後して4月を最下位で終える最悪のスタート。白石監督が就任した5月以降は巻き返し、6月以降は4位で定着するものの上位3チーム(巨人・阪神・名古屋)の厚い壁を破ることはできなかった。投手陣は不動のエースとなった長谷川良平が弱いチームの中で奮闘し、打撃陣でもこの年大洋に合併された元松竹の金山次郎・小鶴誠などが松竹スピリットを見せ、特に金山は58盗塁で盗塁王に輝き若い選手の多かったチームの中で4位躍進に大きく貢献した。最後は優勝の巨人に36ゲーム差、2位阪神に20ゲーム差をそれぞれつけられながらも球団初の4位になり、翌年以降のAクラス入りが期待されたが巨人の第2次黄金時代の中でチームは伸び悩み、Aクラス入りするのは15年後の1968年まで待たなければならなかった。
1 | 二 | 金山次郎 |
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2 | 遊 | 白石勝巳 |
3 | 左 | 木村勉 |
4 | 中 | 小鶴誠 |
5 | 一 | 大沢伸夫 |
6 | 三 | 山川武範 |
7 | 右 | 長持栄吉 |
8 | 捕 | 藤原鉄之助 |
9 | 投 | 長谷川良平 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 名古屋 | 2.5 | 名古屋 | 3.0 | 名古屋 | 3.5 | 名古屋 | 5.5 | 名古屋 | 7.5 | 大阪 | 16.0 |
3位 | 洋松 | 4.5 | 大阪 | 6.0 | 大阪 | 5.5 | 大阪 | 8.0 | 大阪 | 9.5 | 名古屋 | 18.5 |
4位 | 大阪 | 5.0 | 洋松 | 11.0 | 広島 | 13.5 | 広島 | 16.5 | 広島 | 18.0 | 広島 | 36.0 |
5位 | 国鉄 | 9.0 | 広島 | 12.5 | 洋松 | 16.0 | 洋松 | 17.5 | 洋松 | 23.5 | 洋松 | 37.5 |
6位 | 広島 | 9.0 | 国鉄 | 21.5 | 国鉄 | 24.5 | 国鉄 | 30.5 | 国鉄 | 31.5 | 国鉄 | 42.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 87 | 37 | 1 | .702 | 優勝 |
2位 | 大阪タイガース | 74 | 56 | 0 | .569 | 16.0 |
3位 | 名古屋ドラゴンズ | 70 | 57 | 3 | .551 | 18.5 |
4位 | 広島カープ | 53 | 75 | 2 | .414 | 36.0 |
5位 | 大洋松竹ロビンス | 52 | 77 | 1 | .403 | 37.5 |
6位 | 国鉄スワローズ | 45 | 79 | 1 | .363 | 42.0 |
ベストナイン | ||
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選出なし |
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