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日本のプロ野球選手 (1945-) ウィキペディアから
高井 諭(たかい さとし、1945年10月15日 - )は、愛知県[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
中京商業高校では、同期のエース三輪田勝利(阪急)の控え投手であった。1963年の春季中部大会に出場。決勝で名商大付を降し優勝を飾るが、準決勝では先発として起用され、四日市工に完投勝利を記録している。夏の甲子園は五番打者、右翼手として出場。3回戦に進むが、井上健二(東映)、平岡一郎の二本柱を擁する横浜高に敗れる[2]。この大会では1回戦、2回戦にリリーフとして登板している。他の高校同期に下村栄二(広島)がいた。オーバースローの本格派でシュートやカーブを武器とした。
卒業後は地元の名古屋商科大学へ進学。愛知大学リーグでは優勝に届かず2位2回にとどまる。リーグ通算49試合に登板し25勝15敗、防御率1.66、249奪三振。ベストナインと敢闘賞を1回ずつ受賞。1966年第1次ドラフト会議で中日ドラゴンズから8位指名を受けたが、ドラフト翌日に在学中の名商大を中退していない事が発覚し、指名取消しとなった[3]。 その後、名商大を中退し、日本コロムビアへ入社。
1967年ドラフト会議でサンケイアトムズから4位指名を受け入団[1]。公式戦では初登板で1アウトしかとれず自責点4を記録し、これが最初で最後の一軍マウンドとなったため、通算防御率108.00の記録が残った。1971年に現役引退[1]。
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