青山繁
ウィキペディアから
来歴
愛知県名古屋市出身。中京高等学校及び法政大学出身。経営学士。富士フイルムバレー部に入部。1992年バルセロナオリンピックに全日本代表として出場、長きにわたり世界選手権・ワールドカップといった国際舞台で活躍した。
2002年に富士フイルム・プラネッツが廃部になると、東レアローズに移籍し、活躍の幅を広げた。攻撃面では巧みにブロックアウトを狙ったスパイクや、時間差攻撃のタイミングのうまさなど、器用な技を得意とし、サーブレシーブの安定感の高さからレシーバーやリベロもこなした。
2006年の第55回黒鷲旗全日本選手権大会を最後に現役を引退した。引退後、東レのチームスタッフを務めた。
2007年、Vリーグ40回大会記念特別表彰において、Vリーグ栄誉賞・Vリーグ日本記録賞を受賞した。
2009年、中京大学の職員となり、バレーボール部のコーチを務める。 2010年、監督に就任[1]。
2011年11月には、ワールドカップ男子大会のCS中継で、解説者を務めた[2]。
2012年10月、VチャレンジリーグジェイテクトSTINGSのチームアドバイザー兼コーチに就任[3]。2016年まで務めた。
球歴
受賞歴
- 1993年 - 第26回日本リーグ 最高殊勲選手賞・ベスト6・レシーブ賞
- 1994年 - 第27回日本リーグ 敢闘賞・ベスト6
- 1994年 - 第43回黒鷲旗 敢闘賞・ベスト6
- 1996年 - 第2回Vリーグ レシーブ賞
- 1996年 - 第46回黒鷲旗 ベスト6
- 1997年 - 第3回Vリーグ ベスト6・特別賞
- 1998年 - 第4回Vリーグ レシーブ賞
- 2000年 - 第6回Vリーグ レシーブ賞・サーブレシーブ賞
- 2002年 - 第8回Vリーグ レシーブ賞・サーブレシーブ賞
- 2003年 - 第9回Vリーグ レシーブ賞・サーブレシーブ賞
- 2004年 - 第10回Vリーグ レシーブ賞・特別賞
- 2006年 - 第55回黒鷲旗 黒鷲賞(MVP)・ベスト6
所属チーム
選手
- 中京高等学校
- 法政大学
富士フイルム・プラネッツ(1992-2002年)
東レアローズ(2002-2006年)
指導者
中京大学
- コーチ(2009-2010年)
- 監督(2010年-)
ジェイテクトSTINGS
- アドバイザー(2012-2016年)
備考
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.