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藤原高藤の末裔、藤原高良の三男良高を祖とする。磯野氏、赤尾氏、井口氏とあわせて湖北の四家として知られ、室町時代初頭には足利義満の命で後小松天皇の武者所となる。京極氏が守護職として赴任すると、これに仕えるようになった。その後、室町時代後期から戦国時代には近江浅井氏に従う。浅井家にあって、雨森清貞は海北綱親、赤尾清綱とあわせて海赤雨の三将と呼ばれた。浅井氏滅亡後は各地に離散している。良高の末裔には、「雨森芳州家」、「出雲雨森氏」、「土佐雨森氏」、「雨森良意家」などがある。
同家には、良高は3歳になるまで言葉を話せなかったが、近江国富永庄で雨が降ってきた際に、「アメモル」の言葉を初めて発したことをよろこび、以来雨森姓を名乗るようになるとの伝承がある。
地名として、滋賀県長浜市高月町雨森の天川命神社に残されている伝承では、天孫降臨の地であることからついた地名の「天降里」(アモリノサト)が転じて「雨森」となったとある。
天川命神社の祭神は近江国の中臣・藤原の先祖五十八柱を祀った社で、その鎮座する地名雨森と同じ姓(雨森)の者は、藤原氏の同族とみて間違いないと、春日大社、春日文化研究所(平成10年)が発表した。
雨森氏の家紋は、初代雨森三左衛門良高の夢に龍神が出て、橘の花を渡し目玉を書き置けば子孫に水難を除くと言われたことに由来している。以来、「橘」を本紋に、「蛇の目」を幕紋に用いるようになった。
ちなみに、キッセイ薬品工業の名前の由来は初代社長・雨森正五郎の家紋が「橘」であることに由来している。
雨森三左衛門良治(雨森姓元祖で京官蔵人少将高良の子.後に良高に改名)が父高良より自分の子の証明として与えられた薬籠(名香三種)に橘の紋が付せられていた。これを雨森氏の紋とした。との伝承がある。
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