Loading AI tools
明治・昭和期の俳人 ウィキペディアから
鈴木 芳如(すずき ほうじょ、別名:すずき ほうにょ[1]、1884年(明治17年)6月16日[1][2] - 1972年(昭和47年)11月15日[1][2])は、明治・昭和期の俳人。本名、よ志[2]。文具店「オカモトヤ」の会長も務めた。
1884年(明治17年)、士族の娘として東京府麹町区(現在の東京都千代田区麹町)に生まれる[2]。
18歳の時、写真技師を志し神田小川町の写真館に勤める[2]。 1908年(明治41年)、写真館の主人の息子である鈴木安二と結婚[2]。二男二女をもうける。夫・安二の事業失敗により[2]、1912年虎ノ門に[要出典]文具店を開業した[2]。のちに「オカモトヤ」を創業。
夫の安二が亡くなると[2]、家業の傍ら俳句を志して黒岩漁郎、竹原泉園に師事[2]。「さつき」「欅」の門をたたく。1940年頃より原石鼎に師事し[2]、「鹿火屋」にも参加。池内たけしにも学んでいる[2]。
1943年(昭和18年)[2]、神奈川県大磯町にある鴫立庵の18世庵主となる[1][2]。
1948年(昭和23年)、句誌「こよろぎ」を主宰[2]。中村汀女、深川正一郎らも参加していた。
1949年(昭和24年)に貞明皇后が鴫立庵に行啓、1951年(昭和26年)には西行の歌碑(佐々木信綱揮毫)を庵内に建立する。毎年3月に行われる大磯町の「西行忌」は、芳如の発案とされている。
1962年(昭和37年)、高齢を理由に鴫立庵庵主を山路閑古に譲る[2]。
1972年(昭和47年)、350号をもって「こよろぎ」を廃刊[2]。同年、句道発展の功により、勲六等宝冠章を授与される。同年11月15日、死去[2]。
代表句
春の海 ささら波して 遠からず (鴫立庵内の芳如句碑「ささら波」より)
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.