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野地 照樹(のじ てるき、1950年1月16日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手(DF)、指導者[3][4][5]。
中1からサッカーを始める[6]。広島大学附属高時代に福原黎三から指導を受けた。同世代に高田豊治がいる。
東京教育大学(現筑波大学)[6] 体育学部体育学科に進み、蹴球部では主にセンターバックとして活躍、成田十次郎から指導を受け、高田や木之本興三らとプレーした。在学中に関東大学サッカーリーグ戦や第20回全国大学サッカー選手権大会で優勝した[6]。1972年には成田が監督を兼務していた日本サッカーリーグ2部の読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)の選手として7試合に出場した[2]。1972年に大学卒業後、同校大学院に進学し1976年に体育学研究科修士課程を修了[1][7]。同年から1978年まで筑波大学体育科学系文部技官を務めた[7]。
1978年、28歳の時に高知大学教育学部に助手として赴任、同時にサッカー部の監督に就任した[4]。高知は野球人気が高く、当時はサッカー不毛の地と呼ばれていた[3]。グラウンドは膝まで雑草が伸び放題の状態で、草刈と水抜きの水路を作ることから始めた[4]。以降、2013年まで35年間の長きに渡り同校サッカー部を指導し、単なる地方国立大学のサッカー部に過ぎなかった同校を全国トップクラスのチームを作り上げる[4]。特に1990年代にJリーグのクラブが高知でキャンプを張るようになり、そこで胸を借りて力を付けた[3]。2009年、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで、地方の国立大学として史上初の決勝進出(準優勝)。2010年全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)3位。
1999年ユニバーシアード日本代表チーム監督[8]。1994年、JOC在外研修でイングランドリーグのイプスウィッチで1年間、指導者研修を積み[4]、岡田武史や西野朗ら、指導者養成にも関わる[3]。1999年-2001年、2006年-2012年、南国高知FC総監督[3]。
1979年高知大学教育学部助教授、2007年同准教授、2009年同教授[3]。
イングランド研修時代に地域に根ざしたスポーツに共感し2002年から大学サッカー部員と共に「少年少女サッカー教室」を開いている[4][9]。こうした地域貢献活動の結果として2009年からスポンサーが付き、地域からの支援の輪も広がった[4][9]。
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