酒井忠方
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酒井 忠方(さかい ただみち)は、出羽松山藩6代藩主。左衛門尉酒井家分家6代。
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文化5年(1808年)、5代藩主・忠禮の長男として生まれる。文政4年(1821年)、父の死去により家督を継ぐ。藩財政再建のために、桑や漆などの生産を奨励し、倹約を行なうなどして藩政改革に努めたが、天保の飢饉で大被害を受けて、本家の庄内藩から借金をするという有様であった。しかし窮民の援助では尽力している。弘化2年(1845年)10月20日、家督を長男の忠良に譲って隠居する。
明治20年(1887年)2月14日に死去した。享年80。
系譜
父母
- 酒井忠禮(父)
正室
- 於鉄 ー 奥平昌高の娘
子女
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