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創設者は初代斉藤源三郎である[1][2]。源三郎は1845年(弘化元年)に谷島屋太兵衛の養嗣子になると、1868年(明治元年)に浜松の紺屋町に書店の「博文舎」を開店させた[1]。当時の浜松では博文舎が唯一の書籍専門店であり[2]、浜松城主の井上正直が書いた「博文舎」という扁額がある。1872年(明治5年)に明治政府によって学制が発布されると、博文舎が刊行した『遠江風土歌』が浜松県の教科書に採用されている[1]。同年、斎藤源三郎は浜松宿の大手門前に、屋号の谷島屋を店名とした「谷島屋書店」を創業し、書籍販売の専業となった[1][2]。
1874年(明治7年)には文部省から教科書の地方翻刻権を許可され、博文舎の名前で発行された教科書が静岡県内の小学校で広く使用された[1][2]。1886年(明治19年)に教科書検定制度が定められると、検定教科書の供給が谷島屋の営業の柱となった[1]。1916年(大正5年)に三代目の斉藤義雄の時代になると、俳人・図案家の相生垣瓜人によって現在でも用いられているブックカバー(包装紙)がデザインされた[1]。1924年(大正13年)には静岡市に進出した[2]。1938年(昭和13年)には小説家の島崎藤村が谷島屋書店の大看板の題字を書き[2]、現在の連尺店にはこの大看板の複製が飾られている。1941年(昭和16年)には富士市に進出し、戦後の1948年(昭和23年)には磐田市に進出した[2]。
2008年(平成20年)には浜松駅の駅ビルであるメイワンに、静岡県で初めて書店にカフェを併設した浜松本店を開店させた[1]。メイワンの浜松本店の売場面積は約600坪であり、約42万冊の本が陳列されている[1]。これにともなって、それまでの本店は連尺店に改称している。同年6月には磐田市のららぽーと磐田に、やはりカフェを併設したららぽーと磐田店を開店させた[1]。
2022年(令和4年)に民事再生手続開始の申立てをした有限会社焼津谷島屋の書店事業を承継し、完全子会社の株式会社焼津谷島屋を設立した[3][4]。有限会社焼津谷島屋は谷島屋に商号を使用する許諾を得ていた会社で、資本関係及び人的関係は無かった[3]。
静岡県浜松市、磐田市、静岡市、富士市、富士宮市、沼津市、焼津市、島田市、榛原郡吉田町、伊豆の国市を営業エリアとし、2022年(令和4年)6月時点で22店舗を構えている。2016年からTポイントに加盟しており[2]、2020年10月まではHonya Club With加盟店として谷島屋オリジナルTカードを発行していた。
現在は、文具、知育玩具、雑貨の販売も行っている。その他、谷島屋英語教室も運営している。
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