衛藤 浩一(えとう こういち、1963年6月8日 - )は、日本のドラム奏者。THE GOOD-BYEのドラマー、ボーカル[1]。フォトグラファー。大分県出身。身長・160cm、体重・47kg、血液型・AB型。 既婚。一女の父[2]。 愛称は「こーちゃん」、「スマープ」。
- 大分市立城南中学校、大分県立大分工業高等学校卒業。音楽活動は高校時代に始める。すぐに才能が開花し、ドラマーとしての頭角を現す。その腕を買ったギタリストの稲葉政裕と共に福岡県でルームシェアをして生活し[3]、プロデビューの足掛かりを模索していた。福岡ではヤマハ音楽教室でインストラクターをしていた。
- たのきんトリオの野村義男をバンド形態でデビューさせるためのオーディションが行われることになった。衛藤の知人が履歴書を送付[4]。1982年4月に行われた最終選考まで残り、ジャニー喜多川らの前で演奏して合格。しかし、いざとなると怖気づいてしまい一度は九州に戻ってしまった[4]。その後、周囲に背中を押されて上京し、ジャニーズ事務所(ジャニーズ出版)所属アーティストとして契約。事務所が借りていた港区六本木のアパートで生活を始める。
当初バンド名は「ヨッちゃんBAND」→「野村義男&The Good-Bye」であったがレコード発売前に「THE GOOD-BYE」に改められる。
- 1983年9月1日、THE GOOD-BYEのドラマーとしてプロデビュー。当初はドラム演奏だけであったが、アルバムやライブでリードボーカルもとるようになる(メンバー全員)。THE GOOD-BYEは1990年4月1日に活動休止したが、デビュー20周年となる2003年に活動を再開。以後、不定期ながらライブ活動をしており、衛藤もドラマーとして参加している。
- 1990年以降、スタジオワークをはじめ、多くのレコーディングに参加。また、セッションライブにも多々参加している。
- 音楽活動の他に、ナレーター、フォトグラファーの顔を持つ。また、音楽・映像・画像の総合プロデューサーとしても活動。
- 2011年初めから月に一回『えとーBAR』というイベントをファンキー末吉が経営していたライブハウス「Live Bar X.Y.Z.→A」で開催していた(同店は2017年5月31日に閉店)。音楽ライブではなく、衛藤自らが店のカウンターに入り、故郷の郷土料理を作り、地酒なども用意して、客をもてなす主旨のイベントであった。
- 2023年6月8日、還暦を祝うライブ『わをん〜あpresents 衛藤浩一バースデー&還暦ライブ!THE GOOD-BYEの持ち歌全て歌います!!』を新中野 LIVE CAFE 弁天にて開催した。
衛藤はいずれもドラマーとして参加
- JABBAとマニファクチャー(Gt:野村義男、B:渡辺英樹、Key:野口久和)
- シュガー・B (シュガー・ボーイズ)
- THE C-C-BYE(Gt:野村義男、B:渡辺英樹、Key:田口智治)
- 加賀屋エトランゼ(加賀八郎とのユニット)
- ヒデ屋モドランゼ(渡辺英樹とのユニット)
- 五野姫(Gt:野村義男、Gt:加賀八郎、B:渡辺英樹、Key:力石理江)
- シャバダバンド
- BAB(加賀八郎とのユニット)
- OTOKO-BYE(Gt:加賀八郎、Gt:成田昭次)
- ガムガムブラザース2(B:和佐田達彦、Tp/Gt:寺内茂、Key:半田すなお、Vo:池沢理美)
- わをん〜あ(Vo:DIOKEN、Gt:丸山正剛、B:仮谷克之、Key:田村麻実)
「BAB」名義作品
ミニアルバム
- 「BAB」(2008年6月8日)
- 「黄金色した憎いヤツ!」(2009年4月30日)
参加作品
- We Love Bakufu Slump(2011年12月25日) - ファンキー末吉プロデュースの爆風スランプトリビュートアルバム。曾我泰久が歌った「それから」のコーラスで、加賀八郎と共に参加
- テレビ
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- ラジオ
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- 野村義男のフレッシュミュージシャン(USEN)
- エンタメ☆ワールド (2016年6月17日、FMレキオ)
- 竹内藍のAiTube(2017年12月19日、2019年9月10日、2020年6月2日、渋谷クロスFM) ※インターネットラジオ。ゲスト出演
- EMOTIONAL BEAT 〜野村義男の好きで何が悪い?〜(2020年5月2日、レインボータウンFM)
- ナレーション
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