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船越 光之丞(ふなこし みつのじょう、1867年3月16日(慶応3年2月11日[1][注 1])- 1942年(昭和17年)8月14日[1][2])は、明治から昭和期の外交官、政治家、華族。貴族院男爵議員。
安芸国、のちの広島県安佐郡[3](現広島市)で、広島藩士・船越衛の長男として生まれる[1][4][5]。父の死去に伴い、1914年(大正3年)1月29日、男爵を襲爵した[1][5][6]。
1881年(明治14年)二松学舎に入学し漢学を修め、1883年(明治16年)獨逸学協会学校に入学[3]。1886年(明治19年)3月から1893年(明治26年)12月までドイツ帝国に私費留学し[4][7]、1893年8月、ドクトルの学位を受けた[4]。
1894年(明治27年)9月、外交官及領事官試験に合格し[3][4]、領事官補に発令されウラジオストック在勤となる[4]。以後、釜山、サンフランシスコ、イギリス、オーストリア、ドイツで勤務した[2][3][4]。日露戦争時には公使館二等書記官としてオーストリア在勤で、諜報事務に従事した[4][5]。1909年9月、外務書記官・文書課長兼記録課長に就任[4]。1912年(明治45年)4月、大使館参事官としてドイツ在勤となるが、1914年(大正3年)8月、第一次世界大戦におけるドイツ断交によりベルリンを退去した[3][4][5]。同年11月、独立第18師団司令部付となり青島の戦いに従軍し[4][5]、1916年(大正5年)3月、特命全権公使・メキシコ駐箚の発令を受けたが赴任せず、同月に退官した[3][4]。
1916年3月11日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[8][9]、公正会に所属して活動し[2]、1932年(昭和7年)7月9日まで3期在任した[2]。
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