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祇園祭先祭の傘鉾 ウィキペディアから
傘の上に金鶏を戴き、山鉾の中でも古い形態を留めている。巡行では6人の稚児、赤熊に顔を隠した棒振り(踊り方)、神面をつけた太鼓持ち・太鼓打ちの囃子方が、傘鉾に先立って長い列を組み、道中で囃子に合わせ踊り方が棒振りを披露する。なお囃子方と踊り方は、江戸時代から壬生六斎念仏講中(中京区)が出仕してを勤める習わしである[1]。
天保5年(1834年)に他の山鉾[2](北観音山とも[1])の部材を譲り受けて小型の鉾に改造されたが、禁門の変にともなう大火(どんどん焼け)で大部分を焼失。
明治初期の数年間[2](「1879年(明治12年)から1884年(明治17年)まで」とも[3])、現在と同じ徒歩囃子の形で巡行したが、中断。1979年(昭和54年)に、現在のかたちで復興した[2][3]。
綾傘鉾の会所は大原神社(おおはらじんじゃ)にあり、祇園祭の期間には焼失前の綾傘鉾の模型が展示されている(それ以外の時期は、佛教大学宗教文化ミュージアム(右京区)で保管されている)[1]。
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